2014年04月25日

破局視(Catastrophizing)

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 うつや不安等のつらい心理症状を引き起こすもとになっている考え方を、認知行動療法では「認知の歪み」と捉えます。簡単に言えば「良くない思い込み」ということです。その「良くない思い込み」には、その人特有のものもありますが、誰でも抱きやすい典型的なものもいくつかあります。
 そのひとつに「破局視(catastrophizing)」があります「破局視」は、「運命の先読み(fortune telling)」とも言われ、他の可能性を考慮せずに未来を否定的に予言することをいいます。

 たとえば、みなさんは、こんなことを思ったことがありませんか。「元日の朝にこんなに嫌なことがあったのだから、今年は最悪な1年になるに違いない」あるいは「私にはあんな難しい事はできない.私には能力が無いんだ」など。

 現実的に考えれば、元日も他の日と同じ人生の中の1日に過ぎませんし、その日の朝に嫌なことがあったからといってその年が最悪になるという根拠は何もありません。また、何が「簡単なこと」で何が「難しいこと」なのかは個人差があり、自分が「簡単なこと」だと思っていても、他人にとっては「難しいこと」だったりします。

 何故私たちは、何の根拠もないのにそのように思い込んでしまうのでしょうか。それは、そうやって決めつけて思考を中断することによって、不安感や自己否定感などのもやもやとした嫌な感情と向き合わなくても済む「気がする」からです。また、否定的な結果を予測しておけば、うまくいかなかったときに気持ちが落ち込まずに済む「気がする」のです。

 しかし、実際には、行動を起こす以前に未来を決めつけているわけですから、自身の可能性を限定することになり、結果的にはさらに自己否定感や不安感を高め、逃げ場のない追い詰められた気持ちになってしまうでしょう。
 誰にとっても未来は不安なものです。それは、自分でコントロールすることができないからです。私たちは、破局的な未来予測であっても、決めつけることで未来を自身でコントロールできているという感覚を手に入れ、不安感から身を守ろうとするのです。

 「認知の歪み」とは、このように、もともとは自分自身を守るために行っているにもかかわらず逆効果を招いている考え方と言い換えることができるでしょう。「破局視」を手放して現実的な可能性を考えるということは、不安感に身をさらし、自身の限界を受け入れることです。それは、つらいことのように思えますが、実は自然に身を委ねることで自身を解放し、より現実的で確実な自信を手に入れることにつながります。
 認知行動療法とは、このように利用価値のない「非合理的な認知」を自覚し、自分を守るために有効な「合理的な認知」に置き換えていく作業なのです。
posted by MSCOスタッフ at 18:05| カウンセリング・キーワード

2014年03月24日

「雪かき」体験

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 2月は記録的な大雪で、関東ではかなり混乱がありました。私は辺鄙な地域に住んでいるので、普段は車で職場に向かうしか交通手段がないのですが、道も車も完全に埋もれてしまい、さらには近所の電線が切れて「ビビビビ・・・」とぶら下がっている等、ちょっと愕然とする風景でした。自然災害といっていいレベルだったと思いますが、東北の震災を思い出した方も多かったようで、カウンセリングの中でも「自分にとってどういう体験だったか」振り返る機会が多くありました。

 そこで興味深かったのは、学校・職場が急に休みになったりする非日常の中で行った「雪かき」が、とても印象的に体験されていたことでした。大きく分けると、1つには、「雪かき」という仕事がご近所さん、地域の方々と『共有』するものとして意識され、孤独感が和らぎ安心感を感じられたという方が何人かいらっしゃったこと。もう1つには、「雪かき」を通じて、生きている『実感』や『手応え』を体験された方が何人かいらっしゃったことです。

 前者のように周囲との連帯感を感じられ安心できた、という方は結構多いのではないでしょうか。私が勤務しているクリニックのデイケアでは、「いつもは近所の人の目が怖いけのだれど、「雪かき」をきっかけに声を掛け合える体験ができたことで、また自分が貢献できる感覚を直に味わうことで怖さがかなり薄くなった」と、とても生き生きと話しをされる方が複数いらっしゃいました。私自身も、駐車場から車を発掘しても幹線道路までの道のりは遠いので「明日の出勤も絶望的かなあ」と感じていた朝から、“地域の雪かきチーム”が自然発生し、声かけ合いながら見通しと希望も湧いてきて一日で開通するという“偉業”を共有できる機会を得られたので、よりしっくり感じられたのでした。非日常の感じ、“戦友”のようなある種の危機感を共有している感覚が関係性を強化して、「独りではない」という安心感を生んでいたようにも思われます。こうしたことはやはり、体験を通じてでないと湧いてこない感覚でしょう。

 生きる『実感』や『手応え』を感じたという後者の例では、文字通り手に雪の重みを感じながら、やっただけ成果が見える感じ、道が開けていく感じが体感としてわかる、というのが大きな要素であったようです。カウンセリングの中で『実感』『手応え』をテーマとして共有、意識されている方も多いのですが、「雪かき中に初めて『手応え』ってこういうことかな、とわかった」とおっしゃっていた方がおられたのが印象的でした。目に見えない『こころの仕事』として取り組んでいく中で、目に見えてわかる、身体感覚でわかる=『実感』『手応え』ということがどこか現実生活の中で補填されていかないと、やはり『こころの仕事』としても完成しないのだろうと思われます。

 カウンセリングは、はじめに『何の為に我々はカウンセリングとして会うのか?』を一緒に吟味させていただくことから始まります。まずは大雪の様に「何か大変なことを共有すること」で、絶望的とも思える感覚がまた違った視点で多面的に見えてきますし、「こころの仕事」に取りかかる見通しや意欲もわいてくるものだからです。
 
 また、なんとなく日常を過ごしてしまうと、自分にとっての大切な体験というものが目の前にあってもなかなか意識できなかったり、あっても薄れてしまったりすることはとても多いものだと思います。自分にとってのテーマを整理したり明らかにして、消化/昇華していきやすくするお手伝いをするものがカウンセリングというものなのだと改めて感じ入った大雪体験でした。
posted by MSCOスタッフ at 00:39| 心理エッセイ

2014年02月15日

ほめるって難しい

ほめる

 私は小学校のスクールカウンセラーもしています。子どもたちだけでなく、保護者の方の相談もお受けしています。
 保護者の方からは、「子どものこと、もっとほめないといけないんでしょうね・・・」と聞くことがよくあります。「ほめる」ということについて、ご自分でも日々気をつけていらっしゃったり、本などで読んだり、アドバイスされたことがあったりするのでしょう。しかし「ほめないといけないんですよね」とおっしゃるその言葉の裏には、「がんばってほめようとしてるけどうまくいかない」という切ない思いが感じられます。

 “言うは易し、行うは難し”それが『ほめる』です。『効果的なほめ方』をテーマに、保護者向けの研修会を開催することもあります。
「うちの子、ほめるようなことは何もしないんです」。そうおっしゃる方は少なくありません。そこで、「今できていて、これからも続けてほしいこと」「さらに増やしてほしい行動」といった『好ましい行動』がほめる対象になることをお伝えします。
 「ありがとうが言える」「連絡帳を見せる」「一度声かけしたら宿題にとりかかる」・・・ほんの些細なこと、当たり前のことでいいのです。

 当たり前のことでもほめる・・・そう聞くと、たいていの方が「そんなことでほめていいの?」と少し戸惑ったような表情になります。当たり前のことに「すごいね」と言うのにためらいがあるようです。
ここでもう一つ発想の転換をしてもらいます。『ほめる』というのを『保護者の方が子どもの好ましい行動に注目し、「いいな」思った気持ちを子どもに伝えること』ととらえてもらうのです。
 「すごいね」「えらいね」と言うのはもちろん、他にも「がんばれ」と励ます、「やってくれてありがとう」と感謝する、「今どんなことやってるのかな」と興味や関心を示す、といったことも含まれます。また「ごみを拾ってくれたんだ」と行動に気づいていることを伝えるだけでも十分です。「ニコっとする」「OKサインを出す」言葉以外の働きかけも効果抜群です。


 「何をほめるか」「どうやってほめるか」については、『ペアレント・トレーニング』の中の『好ましい行動』と『肯定的な注目』をベースにしてお話しています。
『ペアレント・トレーニング』は、アメリカで開始され、日本でも適用しやすいように作成されたプログラムです。10回のセッションをグループで実施するのが基本的なプログラムです。
 『ペアレント・トレーニング』では、子どもの『行動』に注目します。子どもは、自分が実際に行動したことについて注目されるので、ほめられていることについて実感が持てますし、そのことが『自信』につながります。

 理論的には『行動療法理論』に基づいていますが、子どもの行動修正に焦点づけしているというよりは、親子がよりよいコミュニケーションを持てるようになることに主眼を置いています。
 子どもはほめられてうれしくなり、ほめられたことを繰り返す→親はそれをほめる→ほめることが保護者もうれしくなり、子どもの好ましい行動にもっともっと注目するようになる・・・このように、よい循環が生まれていきます。

 『ほめる』ことから、親子がそれぞれ自信を取り戻し、穏やかで楽しい生活をおくれるようになるとよいですね。
posted by MSCOスタッフ at 23:11| オフィス外での活動

2014年02月11日

「想像力」がもたらす「力」

砂団子

 砂場で遊ぶ3歳の子どもたちの話です。砂のお団子を作って並べています。ある子どもが、そばにいた保育者に「お団子をどうぞ」と差し出します。受け取った保育者は食べるまねをしてから「ごちそうさま。ああ美味しい。クリームの味がしますね」と応えました。別のクラスでは別の保育者が、食べるまねの後「ごちそうさま。ああ美味しい」と応えました。

 2人の保育者の応対は同じように見えるけれど、この後の子どもたちの行動はまるで違ったものになりました。「クリームの味」と言われた子どものクラスでは「こんどはいちご味」「きな粉がついてるの」水に砂を混ぜて「コーヒーをどうぞ」とレストランごっこに発展していきました。しかし別のクラスは、相変わらず「お団子どうぞ」を繰り返し、たくさん作ったり並べる遊びを続けています。

 この話は、内田伸子という方の想像力を育てることを考える本にあった内容です。この例から言えることは、大人が、子どもに代わって“見えないものを見て、言葉に表す”ことをしたかどうかで、2つのクラスの子どもたちの想像活動の中身が変わり、そこから行動と体験そのものが、驚くほど質的に変わってしまったということです。


 想像力を育てること、引き出すこと。これは子どもの話だけではありません。
 ユング心理学では、想像力が生み出すイメージには、悩みや行き詰まりの原因となった葛藤や矛盾を、まとめ上げ進展させる性質があると言われています。イメージの力によって、出口が見つからない行き詰まりは角度を変え、出口を見出すことができたり、抱えきれなくなった問題はまとまりを持つことで向き合うことができるようになります。そして、次のステップへの可能性が動き出してくるといえます。

 「想像力」を自由に働かせることで、自分の心の世界に埋れている生きたイメージをとらえる、向き合う、体験する。それによって、一面的でなく多面的・柔軟な認知や思考をしていくことが可能になります。そして、自分でも知らなかった豊かな世界や可能性が自分の中にあることを発見する。

 カウンセリングをしていて、クライアントが「想像力」を働かせることを通して自分の力を引き出していくのを目にするたびに「想像力」がもたらすものに惹きつけられます。子どもたちの例のように「見えないものを見て言葉に表す─想像力」を活かして、それまでの自分の「繰り返し」を脱し、視界を広げて、のびやかに踏み出して行く。それ自体、とても創造的なことに思えます。
posted by MSCOスタッフ at 00:00| 心理エッセイ

2013年12月28日

いいとこ探し

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 地域の子育て支援の一環として、幼児期の子どもを持つ保護者(主に母親)を対象とした親講座に関わっています。身近に育児のことを相談できる人がいない、日中は子どもと二人きりで過ごすなど、核家族化が進む中、今のお母さん達は孤立しやすい状況があります。そんなお母さん達に、育児の情報やノウハウを交換したり仲間を作る機会、「〜ちゃんのママ」でなく自分自身のことを考えてもらう時間を作り、自分らしい子育てをして欲しいという目的で、この講座は開催されています。
 数回で構成されるこの講座では子育ての情報や子どもについての悩み、ストレス解消法などについて、色々なワークを行ったり、グループで話し合ったりします。

 今回ご紹介したいのは、その中で毎回好評なワークの一つです。「自分自身について振り返る」というテーマの時に行うもので、私たちは「いいとこ探し」と名付けて実施しています。方法ですが、まず自分自身について短所だと思うことを紙に3つ書きます。次にその紙を隣の人と交換し、隣の人はそこに書かれている短所を長所の表現に変えて記入します。例えば、「心配性」は「細かな所によく気づく」、「飽きっぽい」は「好奇心旺盛。新しいことにチャレンジできる」、「気が弱い」は「周りの人を大切にする」というように書き換えることができます。書き終えたら、隣の人に返します。
 長所として書き換えられて戻って来た紙を見ると、みなさん照れたような笑顔になります。「自分では短所だと思っていたけれど、他の人からは違うように見えるのだと思った」「自分は自分でいいのだと思えた」「嬉しい」などの感想が返ってきます。「帰ったら、夫についてもしてみます」と話された参加者もいました。このワークを行うと、お互いを大事に思い合う雰囲気もグループに出てきて、一層お母さん同士のつながりが強くなるような気がします。

 実は、この「いいとこ探し」でしていることは、心理学の用語で言う「リフレーミング」というものです。リフレーミングとは、ある「枠組み(フレーム)」で捉えられている物事を枠組みをはずして、違う枠組みで見ることです。これは人の性格についてだけでなく、色々な場面でも応用できます。
 例えば、膨大な仕事の半分が終わったという時に、「半分しか終わっていない」と思うのと、「もう半分終わった」と思うのとでは、達成感やその後のモチベーションが変わってくるのではないでしょうか。
 また、自分に降りかかった試練を「自分を成長させてくれるチャンス」と捉えることができたら、前向きに対処しようという気持ちになれるでしょう。どんな状況でも活き活きと過ごせる人は、この考え方を上手に取り入れていると聞きます。物事を悪い方向から見やすくなっている時に、全く違った視点で問題を観察してみると、新たな見方や発見ができるかもしれません。
posted by MSCOスタッフ at 14:49| オフィス外での活動

2013年12月10日

援助職のためのハーブティー&アロマテラピー講座 第1回

Aroma & Herb

 アロマテラピー、ハーブティの講師を招いて、「援助職のためのセルフケア ハーブティー&アロマテラピー講座」を行いました。オフィスのスタッフも参加し、普段とは違うアプローチのメンタルケアの体験をしました。

○アロマテラピー講座
 まずは、数種類のオイルの香りを試しながら、そのオイルが、心に対して、肌に対してもつ特徴を知りました。そして、好きなオイルをブレンドして、マッサージオイルを作成。今回、人気のオイルは、「フランキンセンス」。気持ちをなごませる香りで、肌を活性化させる特徴のものでした。

 そして各自がブレンドしたオイルでハンドマッサージを行いました。すべりがよいので、肌にすーっとなじみ、またやわらかな香りにつつまれながらのマッサージに、最初はなんとなく緊張感のあった空気もなごやかになりました。自分が作ったオイルは、お持ち帰りができるので、家でも毎日使っています。
アロマオイルとハーブティ

○ハーブティー講座
 5種類のハーブティーの作用を知り、試飲しました。ハーブティーの香りと味をそれぞれ自分なりに言葉にしていくことで、じっくりお茶を味わえたように思います。「小豆っぽいね〜」とか、「すーっとするね」など皆思い思いの言葉で表現していました。
 関心が集まったのは、リラクゼーションや眠りに良い「カモミール」。皆、試飲しながら、「眠くなってきた〜」と、かなりゆるんだ雰囲気になりました。
最後に「ペパーミント」を飲み、ちゃんと帰れるようにすっきりと目をさましました。
お土産に、ブレンドのハーブティーなどをいただき、自宅でも楽しみました。

 アロマオイルもハーブティーも、体の不調や困っている症状などに用いると、それがやわらぐという特徴があるので、それぞれが自分に合うものを探そうというところに関心が集まっていたように思います。
 日頃、仕事で疲れていても、なかなかリラックスできるような時間を持ちづらいというのが現実です。せっかく、アロマやハーブを使いセルフケアができる知識を得たので、積極的に取り入れてみようと思いました。

※今後もこの講座は開催する予定です。次回開催が決まりましたら「南新宿カウンセリングオフィスHP」でご案内いたします。
posted by MSCOスタッフ at 23:04| オフィスの活動

2013年10月11日

「親になること」について

見つめること

 先日、『そして父になる』という映画を観てきました。この監督の映画は、どれも登場人物の情緒表現が自然で繊細なのが気に入っていて、欠かさず観ています。何気ない仕草や行動に胸を打たれることが多く、これは作り手の観察力がなせる技だな、といつも感心します。きっと、人間をきちんと見つめている作り手なのでしょう。
この映画のテーマである「親になること」を考えたときにも、「見つめること」の大切さを思いました。

 映画の中では、出生時に子どもを取り違えられた2つの家族が対比的に描かれるのですが、その象徴的な場面として、エリートサラリーマンで子どもの教育に厳しい反面、関わりは希薄な主人公と、生活ぶりはだらしないけれども、いつも子どもと一緒にいるもうひとりの父親とが子育てについて話すシーンがあります。主人公が、「子どもと一緒に過ごす時間が多ければ良いというものではない」というのに対して、もうひとりの父親は「それは違う。時間だよ、時間」と言います。子どもと遊び、時間を共有することが大事だというのです。

 私は、臨床心理士として多くの親子と関わる中で、一緒にいる時間の長い親子が必ずしも良い関係を築けているわけではないことを知っています。その点では、この主人公の言う通りだと思いますが、だからと言って、この人のような親はだめでしょう、と思う。でも、もうひとりの父親のいうように、ただ子どもと一緒に遊ぶ時間をたくさん持つのが良い親だとも思えない。映画の中でも、「親になること」の答えは出ないまま終わります。

 映画を見終わり、「親になること」ってどういうことだろう、と考えていたとき、ふと思い出した言葉があります。20年ほど前になるでしょうか。当時有名なコピーライターが言っていた「見つめることは愛」という言葉です。

 映画の終盤、主人公が、デジタルカメラに納められた写真を何気なく繰るシーンがあります。そこには、息子が撮った自分の姿が何枚もありました。それを見て、主人公である父親は、息子がいつも自分を見つめていたことを知るのです。そして、父親である自分は息子を見つめていなかったことを。

 子どもはいつも親を見つめています。そして、親から見つめ返されることを求めています。それが愛情だということをごく自然に学んでいるからです。子どものまなざしは、強く激しいので、親は息苦しくなり、この映画の主人公のように目をそらし、背を向けたくなるかもしれません。でも、だからこそ、そのまなざしをきちんと受け止め、見つめ返すことができなければ親にはなれないのではないか、と思ったのでした。
posted by MSCOスタッフ at 16:39| 本や映像から

2013年08月17日

復職デイケアとカウンセリング

復職デイケア

 ここ数年、職場ストレスで休職した際に、職場復帰前に復職デイケア、ショートケアに通う方が増えています。復職デイケアやショートケアは、主にクリニックや、保健センターに併設されています。目的としては、休養した後に、いきなり職場に復帰するのではなく、1日の生活のリズム、1週間のリズムを整え、また再発しないように、休職にいたった経緯を振り返ったり、新しい対処法を身に着けるなどの準備をするところです。

 施設によって、プログラムの内容は異なりますが、「個人ワーク」といって、自分で、本を読む、簡単な書類作りをしてみる、など実際に作業をすることで、職場の感覚を思い出し、集中力をあげる役割があります。

 また、グループでのプログラムでは、職場で困ったこと、復職する際に不安なことなど、テーマを決めてグループでディスカッションしたり、簡単な運動、手先を動かすようなことを行ったりします。最初は、その場にいるだけで疲れを感じる方も、何か月かたつと、グループをまとめたり、積極的に活動する様子がみられ、毎日同じ場所に行って課題をこなす大切さを感じます。

 何といってもグループでのディスカッション、またグループで行う認知行動療法や、アサーションなどのワークは、参加している人にとってとても役に立つようです。同じテーマで話をしても、それぞれ色々な見方があったり、考え方があったり、ということを実際に聞いて体験したり、自分の話したことについて、参加者から意見をもらったりすることで、気持ちが楽になって、不安が低減することも少なくありません。

 ただ、グループでの活動は、それなりに疲れるものです。自分が言いたいことを全部言えるわけではありませんし、相手の話に、疑問を感じても直接言えないこともあります。そのこと自体、日頃職場でも感じていたやりづらさそのもの、ということもよくあります。

 そういう場合にはカウンセリングもうまく併用しましょう。カウンセリングは1対1の作業ですので、本人がグループの場で感じたやりづらさを丁寧に振り返り、本人のとりがちなパターンや、そのときどのような気持ちからその行動を選ぶのかなどを見つけていく作業をします。その繰り返しで、休職前とは異なる考え方ができたり、行動ができたりしていきます。

 復職デイケアは復職した時点で卒業ですが、カウンセリングは、復職後も定期的に利用することで、再発のリスクをできる限り減らすことができます。
posted by MSCOスタッフ at 15:06| 心理エッセイ

2013年07月29日

“世界”の見え方

ルリボシカミキリ

『ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで』 福岡伸一 著

 とある高校生の宿題を手伝ったのがきっかけだったのですが、国語のテキストに出てきた生物学者の福岡伸一さんのエッセイから色々刺激を受けています。福岡伸一さんは「動的平衡」という言葉を扱った『生物と無生物のあいだ』という新書がベストセラーとなり有名になった方ですが、科学者でありながら詩的で読みやすい、美しい文章を書かれる方です。最近では、教科書や受験問題に引用されることも増えているとか。

 そのテキストは、『ルリボシカミキリの青』という文庫本のプロローグからの引用でした。「昆虫好き少年だった福岡ハカセ」が、生物学/科学の観点から興味深く“世界”の見え方を教えてくれるというショートエッセイ集なのですが、この中では先述の「動的平衡」の他、「センス・オブ・ワンダー」、そして「世界の見え方/世界をどう記述するか」といったキー・ワードがよく出てきます。
 「センス・オブ・ワンダー」というのは、「世界の不思議さ・神秘さに目を見張る感性」といったように訳されていますが、この感覚については昆虫好き少年であった福岡ハカセにとっての重要な体験、「フェルメールさえ再現できないであろうなんともいえない青」という昆虫の色の神秘的な不思議さ、感動体験(センス・オブ・ワンダー)を例として、度々強調して説明がなされています。こうした体験こそが、その後生物科学を通じて“世界”を知り“世界”を記述したいというハカセの欲求の原動力になっていたのだ、ということをハカセは熱心に伝えてくれているのです。

 そうして研究に励む中で、遺伝レベルの生物学からハカセにわかってきたことが、エッセイの内容です。我々の見えている“世界”の見え方がいかに錯覚思い込みによってズレやすいか。いかに“世界”が興味深く神秘的であるか。

 そして“世界”の見え方を多元的に興味深く広げてくれる例として、福岡ハカセは「動的平衡」を挙げます。この「動的平衡」というのは、「絶え間なく交換、変化しているにも関わらず、全体としては一定のバランス=恒常性が保たれる系」というように定義されます。
 大雑把にいえば、炭素や酸素などの原子レベルで調べていくと、人間の身体はなんと半年もたてば元のものが残っていないくらい、身体の組成物が刻一刻と入れ替わっている。しかしもちろん全体としては、一個の人間がそのまま保持されている。生物学におけるミクロの視点でいえば、人(生物)は食物や大気から取り入れたものをアミノ酸レベルで絶え間なく分配、調整、排泄を繰り返しており、その構成要素は「川の流れのように」一定に留まるということが全くない、ということがわかっているそうなのです。
 つまるところ、昨日他の生物(人や動物)の中にあったものが今日は自分の中にあるのであり、また今自分の中にあるものが明日には他の生物のところに入れ替わっているという、地球規模の大循環系があるということになります。
 事実、それぞれの地球にある元素の総量というものは昔から一定しているということもわかっているそうで、私はこれらのことを考えてこれまでの世界観が洗われるような、大変不思議な感覚になりました。



 「動的平衡」ということからイメージを膨らませると、自分と他人、世界とのつながり関係性、輪廻生まれ変わりなど様々な考えが膨らんできますが、そこはさておき、私としてはやはり“世界”の見え方、“世界”をどう記述するのか?といった観点で、心理療法との共通性を強く感じ、とても興味深く思うのです。

 我々の“世界”の見え方というものは、気をつけていてもやはりとても一面的で、ある種の思い込みの中で生きているとも言えます(実は心理学でも、歴史的にゲシュタルト心理学、知覚心理学という系譜でこうしたことを考えてきている歴史があります)。

 それはそれで人の性なわけですが、 見えている“世界”が偏った形で固定化し、閉塞状態に陥ったり絶望感に圧倒されてしまった時というのは、いわゆる抑うつの状態であるといえます。そうした際には、やはり1つの選択肢として心理療法を活用してもらえれば、と思うのです。
 その人にとっての “世界”の見え方に近づき、一緒にその人の“世界”を体験しようとする。多面的、重層的に“世界”を見たり、体験したりしようとする。心理療法はそんな共同作業なのではないか、と私自身は感じています。

 その為にも、私自身 “世界”をいかに柔軟に自由に味わうことができるか、ということをいつも意識しているのですが、 “センス・オブ・ワンダー”はそのための鍵である、ということを福岡ハカセは伝えてくれているように思います。そして「動的平衡」ということを考えた時、“私自身”でありながら、色々な意味で常に固定的ではなく動的でありたいものだな、と改めて思い知らされたのでした。

 ハカセの著作はたくさんあるのですが、特に「ルリボシカミキリの青」は文庫化もされており、ショートエッセイ形式で読みやすくオススメです。夏の読書の候補として、いかがでしょうか?
posted by MSCOスタッフ at 01:07| 本や映像から

2013年07月21日

不登校と安全感

居場所

 小中高等学校にスクールカウンセラーが配置されるようになって20年近く経ちます。本格的に導入されたのは、ここ10数年のことでしょうか。臨床心理士といえばスクールカウンセラーを思い浮かべる方も多いと思います。

 スクールカウンセラーが配置されるようになった背景には、学校における不登校児童生徒の増加がありました。学齢期の子どもをお持ちの方々の中には、自分の子どももいつか何かのきっかけで不登校になるのではないか、と不安を感じている方もいらっしゃることと思います。

 「不登校」とひとくちに言っても、ひとりひとりの子どもが抱える問題は多様です。不登校はひとつの現象に過ぎず、こういう問題を抱えた子どもが不登校になる、と一概に言うことはできません。また、私たちは、還元主義的なものの見方に慣れているせいか、何か問題が起きるとその原因を突き止めてはっきりさせたくなるものですが、不登校の原因は複雑に絡み合っており、特定できるものでもありません。

 私たちカウンセラーは、それぞれの子どもたちが抱える問題を複雑に絡み合った糸をほぐすように理解し、援助していくわけですが、そういう作業を繰り返す中で、原因は特定できなくても、不登校になっている子どもたち全員に共通している心理状態が見えてきます。それは、‘安全感が持てない状態にある’ということです。

 「自分の居場所がある」「自分の居場所がない」というフレーズが、あちこちで聞かれるようになって久しいですが、その‘自分の居場所がある’と感じられることが、まさに安全感が持てている状態なのだろうと思います。
 「ここが自分の居場所だ」と思う時、私たちは皆、その場に受け入れられている感覚を持っているものです。それは、ありのままの自分でいて良いのだ、と感じているということです。不登校になっている子どもたちは皆、自分には居場所がないと感じています。「学校に居場所がない」と感じているだけでなく、多くは「どこにも居場所がない」と感じています。

 学校で安全感が得られなくても、家庭で安心感、安全感が得られている子どもは不登校になりにくく、また、なったとしても、それを乗り越えて成長していくものです。子どもに、親にとって都合の良い子であることを求めてはいませんか。学校の成績が悪くても、親のいうことをきかなくても、悪さをしても、「これが我が子なのだ。何があっても絶対に見捨てない」という強い覚悟が子どもに安心感、安全感を与え、心の居場所を作るのです。
posted by MSCOスタッフ at 23:59| 心理エッセイ