2015年07月30日

大人のこだわりで、子どもたちから遊びを遠ざけていないか

所沢クリドラタウン

 子どもたちと、ドラマと造形のワークショップを行っている「所沢クリドラタウン」で、保護者の方たちに「子どもの育ち」について“遊び”の視点からお話をさせていただきました。
 それに先立って、ワークショップにも参加してみました。 http://blog.credra.org/?eid=1057696
 その時の感想は「体を使って遊ぶことは、大人にもこんなに楽しいことなんだ!」ということでした。そして改めて「現代の子どもたちは遊びから遠ざけられているのではないか」という思いを持つようになりました。

 今の子ども達は、幼児期のかなり早い段階から「楽しいこと」「気持ちの良いこと」よりも、「スキル習得」「学力向上」が期待されているように思います。「教育」が、生活の場の中で幅をきかせてきているのです。
 学童期の子どもたちにとって「競争」は、切磋琢磨し合う大事な機会であり、自己有能感や自信をつけていくのに大切ではありますが、あまりに早期から行なわれてているため、競うことに疲弊しているように見えることもあります。そして、勝ったり負けたりすることによって生じる様々な葛藤を避けるため、過度に気をつかい合い、自分をありのままに表現することをせずその場をやりすごそうとしているように見えるのです。

 だからこそ幼少期に思いっきり“遊ぶ”ことが必要だと思いますが、実際には遊んでいるようで遊んでいない。そういう現象が起こっているように思うのです。その一因は大人の接し方にあります。大人は子どもにとっての「環境」なので、大人の「こだわり」「構え」が子どもの「枠組み」として機能してしまうのです。

【子どもたちから遊びを遠ざけてしまう大人のこだわり 3つ】
(1)「言葉」に頼りすぎていないか?
 子どもは、自分で言った内容と行動を一致させることが、まだ難しいことが多いのです。大人から言われたことに対しても「わかった!」と返事したとしても、実は理解しておらず、行動にうつせないということがしばしば起こります。また、子どもは「気持ち」を「言葉」で言い表すことが難しく、「行動」や「体の症状」で表すことも多いのです。

(2)「完ぺき」を目指しすぎていないか?
ちゃんと遊べるようにしっかりしたもの、表現しやすいようにたくさんのものを用意してあげる・・・しかし「ありすぎる」ことで、実は「想像力」が生まれにくくなっているかもしれないのです。
また、大人が先回りして「もっとこうした方がいいよ」と本物に近づけようとしてはいないでしょうか。完成度や本物らしさよりも、「その子らしさ」が大切なのです。その子が「もっとこうしたいんだけど」と言ってきたときに、大人は助けてあげたらよいのです。

(3)「一人で何でもできるようにならないといけない」と思い込んでいないか?
私たちは誰でも、何らかの助けを得ながら生きています。「助けてもらうこと」と「自分でやること」のバランスをとり、他者とともに生きていくこと、それが本当の自立だと思います。

 こういった“ちゃんとする”というくびきから解放して、充分に“遊ぶ”ことがとても重要なのです。遊びの中では、「助けを受け入れる力」と「自分で工夫する力」の2つが培われます。子どもにとっては“遊び”は育ちを支えるのに必要不可欠なものなのです。そして「遊びの重要性」は生涯にわたって大切なものであることが様々な臨床場面においても語られています。

 クリドラタウンでは、子どもも大人も一緒になってとても楽しそうに活動していました。そして、保護者の皆さんが、口をそろえて「子どもたちはクリドラタウンに行くのを楽しみにしているんです」とお話されていたのが印象的でした。子どもは楽しいと自ら取り組み、生き生きと活動し、自信をつけていくものです。子どもが遊べるようになるためには、大人も一緒に遊んで、楽しんでいる姿を見せてあげるのが良いのではないでしょうか。大人の中の「遊べる心」も大切にすること。そのことを日々の臨床でも忘れずにいたいと改めて感じた一日でした。


<所沢クリドラタウンスタッフから>
 私たちは遊びを通して、集中力や身体コントロール力、創造性や表現力・コミュニケーション力が自然に身につくようなワークショップを行なっています。
お話しをしていただいた「“遊び”を遠ざけてしまうこだわり3つ」に対しては逆のアプローチを常に考えています。
・「言葉」については、感覚や身体に働きかける活動や非言語的なコミュニケーションを用いた活動を積極的に取り入れています。
・「完ぺき」については黒い素材だけで工作するなど、材料や時間に制限をかけています。制限があるから工夫する発想力が生まれるのです。そして出てきた発想を受け入れそれを更に膨らませるような声かけをしています。
・「一人で何でもできる」については、他の人が作った素材を使って作品を完成させたり、協力しないとできない活動を数多く入れたりしています。人の意見や作ったものと、自分の意見や作ったものが混じりあう面白さや、みんなで1つのものを造り上げるという体験を大事にしています。
 今回“遊び”の重要性を、臨床心理の言葉で説明されたことが、私たちの取り組みに裏付けをいただいたようで大変心強く思いました。ありがとうございます。
posted by MSCOスタッフ at 00:14| オフィス外での活動

2015年07月03日

架空ケース:「新しい職場でうまくふるまえない」

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<架空のケースを元に、実際に起こりがちな悩みとカウンセリングのアプローチを紹介しています>
 (2016.8.31 「『ペルソナ』を掛け替えることで自信をとりもどす」より改題)
 転職してから、何かとしり込みするようになったことに悩んでいるBさん(20代 会社員 女性)。

 自信が持てずに新しい仕事も自分にはできない気がしてしまいます。転職すると、誰もが新しい環境に踏み出したことでの期待と不安を大きく感じるものです。Bさんはそういった期待と不安だけではなく、それまでの自分のままではやっていけないように感じたと言います。Bさんにとって、それまで自分の外側に向けていた顔=『ペルソナ』をはずして、新しい自分・環境にフィットする新しい『ペルソナ』を作ることが必要になってきたと言えるかもしれません。しかし、新しい『ペルソナ』への掛け替えは、どんな態度やキャラクターを演じるかといった表層的なことではありません。

『ペルソナ』の役割
『ペルソナ』というのは、仮面を意味する言葉ですが、素顔を隠すという意味だけで片づけられない役割があります。ひとが外界へ向ける顔、自分の身の回りの環境になじんで活動していくために身に付ける“衣服”のようなものと言えます。実際、私たちは自然と状況・役割・人間関係などに合わせて一定の発言・行動をしています。

 『ペルソナ』はそんな風に生活をスムーズに送ることを助けてくれます。それだけでなく、その『ペルソナ』を身につけることで発揮される、いわば“もうひとりの自分”が活躍できる機会を作ってくれもするのです。そこで大切になることは、『ペルソナ』が、身につける“中身”の自分自身に合った、生きたものかどうかです。そうでなければ、自分を硬く拘束する殻になりかねません。

『ペルソナ』を掛け替える
 カウンセリングでは、まず“中身”の自分自身の点検作業をしました。自分史を振り返って、自分の棚卸しです。“棚上げにしてきた自分”“取りこぼしてきた自分”をひとつひとつ手にとって見返していきます。

 Bさんは、新入社員の頃から仕事を教えてくれる先輩に頼りがちだった自分を語ります。「末っ子だから」と、いろいろな状況で誰かに頼りながら切り抜けてきた自己イメージです。Bさんの『ペルソナ』は“末っ子キャラ”のようでした。

 詳しく自分を振り返っていくうち、高校では部活動で大きな大会を目指してリーダーシップをとっていたことを思い出しました。「子どもだった、怖いもの知らずだった」と振り返りながらも、集団の中で役割を引き受けて行動する自分を忘れていたとも言います。

 見えてきたものは、もともと“末っ子キャラ”だという意識。そして、先輩社員との関係でその『ペルソナ』がフィットしたことで、『ペルソナ』を自分だと捉え、自分を限定してイメージしてしまっていたのでした。

 Bさんは自分の中に、“取りこぼしてきた自分”が見つけられ、難しいと思えていたコトにも向き合える自分がいたことを発見したのでした。その発見は、今の自分には“まだ見えていない自分”がいるという可能性を感じることでもありました。そうしてBさんの転職の期待と不安は、「不安<期待」となって、新しいステップに踏み出していきました。
タグ:ペルソナ
posted by MSCOスタッフ at 00:17| 架空ケース

2015年05月24日

援助職のためのハーブ&アロマテラピー講座 第4回

Aroma & Herb

 新しいオフィスで「援助職のためのセルフケア ハーブとアロマの講座」がありました。
 前半は、アロマ講座で、「香りのバスソルト作り」でした。好きな香りの精油を選び、バスソルトに垂らして混ぜます。それをお風呂にいれたり、バケツにお湯をはり、足湯、手浴にも使えるのです。
 また、ホホバオイルをいれて、お風呂のときに、ひじ、かかとをマッサージするときにも使えるとのこと。皆、それぞれ好きな香りを選んでいました。

マージョラム

 今回人気だったのは、マージョラムという精油で、やわらかい森林系の香りを気に入ったという声もありました。またマージョラムの効能として、不安、ストレスの影響を緩和させたり、注意を集中させるときにもいいと言われているそうです。そして血液の流れもよくする働きがあるということで、お風呂にはぴったり。このマージョラムにグレープフルーツオイルをブレンドして、さわやか、かつリラックスできる香りをブレンドしている人もいて、他の人がブレンドした香りを香ってみるのも楽しみでした。香りのブレンドは一緒でも、滴数が違うと香りの趣が異なることも発見でした。

 後半は、ハーブティー講座でした。これまで3回受けてきて、17種類のハーブティーの特徴、味などを体験してきたのですが、今回は、それをふまえてブレンドをしてみる、というわくわくする体験でした。それぞれのハーブの効能の復習をしながら、自分で好きなハーブを3〜5種類選んでブレンドして、他のメンバーにも試飲してもらいました。胃腸によいと言われるカモミールが人気でした。私は、飲みやすいといわれているラズベリーリーフを主体にしてブレンドしました。
 ブレンドのこつとして、ペパーミントをいれるとのみやすくなったり、はちみつをいれるとさらにのみやすくなるようです。それぞれ今日の体調や気分でブレンドをしていました。1種類だと飲みにくかったハーブが、何種類かブレンドすることで、各段に飲みやすくなるのは驚きでした。
先生が、「毎日飲み続けるといいのですよ」とおっしゃって、各自気に入ったブレンドをティーパックにつめて1週間分お持ち帰りしていい、という嬉しいお土産がありました。
 よい香りに包まれ、おいしいお茶をのみながら、講座の時間そのものがリラックスの時間となりました。
posted by MSCOスタッフ at 22:51| オフィスの活動

2015年03月12日

「子どもの育ち」セミナー 〜発達障害児との接し方〜

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 子どもたちと、造形とドラマのワークショップ活動を行っている「所沢クリドラタウン」で「子どもの育ち」をテーマにお話をさせてもらう機会がありました。
様々な個性の子ども達と接する中で、その心理的特性を知る必要を感じているスタッフや保護者の方たちと意見や感想を述べ合いながらの、充実した2時間となりました。
 
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 発達に偏りがある、あるいは発達障害がある子どもの育ちを支えるには、まずその子のことを理解することが欠かせません。ここで大切なのは「障害について理解する」というよりは、「その子自身の困り感を理解する」ということです。

 自閉症スペクトラム傾向のある子どもたちは、もともと持っている感覚の過敏さや、変化に柔軟に適応することへの苦手さから、実は不安におびえる体験を日々積み重ねています。しかし、それをうまく伝えることができず「問題」とみなされる行動でそれを表現しています。

 注意欠陥多動性障害(ADHD)の傾向を持つ子どもたちは、「落ち着きがない」「後先考えない」行動特性のために、小さい頃からしかられたり注意される機会が多く、その結果として自信を失いやすくなっています。

学習障害(LD)をもつ子どもたちは、「まじめに勉強に取り組んでいない」と誤解され叱責を受けることが多く、学習への苦手意識を強く持っています。

 発達に偏りがあるということは、得意なことと苦手なことの差がとても大きいということでもあります。この差が大きいと、その子自身の良さが発揮されにくく、苦手さや問題行動が目立ち、そこばかり注目されてしまいます。しかし、「問題である」と言われる言動の背景には、必ずその子の困り感が隠れていると思うのです。
 
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 わからなかったことや、突然の変更や過度な感覚刺激など、本人の中の恒常性を乱されるような強い刺激があったとき、子どもたちはとても強い不安や恐怖、脅威を感じます。パニックになるのはそのためです。「いつもと同じであること」「慣れているパターン」は安心感をもたらすため、1つのことに強くこだわりを持つことがあります。
 「実はこの子は困っているんだ」という目で見ることで、その子の困り感が見えてきます。その困り感をどう解消するか、対処できるか、ということを考えていくことで、パニックになることを少しでも減らすことができます。

 特性の否定的な部分だけではなく、肯定的な部分にも着目することが大事だと思います。「落ち着きがない」というのはたいてい否定的なニュアンスを含みますが、「フットワークが軽い」というと、肯定的なとらえ方になります。

 「興味の幅が限定されている」というと否定的ですが、「みんなが知らないことを知っているものしり博士」ととらえることで、みんなから尊敬されることもあるのです。
 
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 発達に偏りがある子どもたちは、適切なやり方を知らないために不適切なパターンを繰り返しているのです。「ダメでしょ!」と叱るよりも、「こうするんだよ」と適切なやり方を教えてあげるほうが効果的です。

 そういった子どもたちの多くは、いわゆる“暗黙の了解”と言われているものを理解することがとても苦手です。「言わなくてもわかる」「見ればわかる」が通用しないことが多いのです。言葉でわかりやすく伝えたり、具体的に見本をみせてあげたりすることで、わかりやすくなります。

 この「わかりやすいこと」「感覚を過度に刺激するものがない状態」が、安全感や安心感をもたらします。充分な安心感を持つことができると、遊びの中で「楽しい」と感じることができたり、学びの中で「自分でできた」という達成感を持つことができるようになります。こうした体験が自信や自尊心につながります。
 
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 図のように充分な安全・安心が得られた上に自信・自尊心が培われます。そのような安定した状態で初めて、さまざまなスキルや知識を習得していくことができると思います。
 
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講演後に「発達に偏りがある子に限らず、全ての子に対しとるべき関わり方だと思いました」という感想をいただきました。特別な子に対しての特別な対応ではなく、誰にでも当てはまる基本的なアプローチだというという思いを新たにしました。
posted by MSCOスタッフ at 23:39| オフィス外での活動

2014年12月27日

見落とした大きな白熊 

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 ある研修会で、私たちは短いビデオの映像を見ました。講師から指示されたのは「これからお見せするビデオの中で、バスケットのボールが何回パスされたか数えて下さい」というものでした。ビデオには7,8人の若者がバスケットボールのコートを縦横無尽に動き回りながら、ボールのパスを繰り返す様子が映し出されていました。映像がスタートすると、入り乱れる人の動きに惑わされないようにしながら、私は素早いボールの動きに目を凝らし、「1,2,3…」と数えていきました。ほんの12,3秒ほどの映像が終わりました。正解は24回。無事に正解し、ホッとしているところに再度講師の言葉です。
 「では、先ほどの映像をもう一回、今度は気楽に見て下さい」とのこと。先ほどの映像が巻き戻され、先頭から再度流れました。すると、会場から「え〜!」という驚きの声が。なんと、その映像の中では、大きい白熊の着ぐるみがムーンウォークで若者の間を悠々と行ったり来たりしていたのです。パスの回数を数えている間、私は全くその着ぐるみに気づきませんでした。驚きの声がわいたのは、会場の多数の参加者が私と同じ体験をしたためだろう思います。自分の目に見えているものと、実際そこにあるものとがこんなに違うということを、身をもって実感した体験でした。

 私たちは自分の周りで起こる様々な状況を、ビデオカメラで撮るようにそのまま取り入れるのではなく、特定のものだけを取捨選択して取り入れています。関心のあること以外は目に入らないので、ボールの行方を気にした時、普段であれば見落とすはずのない大きな熊が見えませんでした。恋愛がスタートしたばかりの時期は、恋人の良い面ばかりが目に入るのも同じ作用でしょう。

 では、自分の心が弱くなっている時、たとえば自信を失っている時や何かに不安・緊張を感じている時などはどうでしょう。人生に恵まれず、明るい将来が見えないと嘆くある方は、自分がホームに着くと乗りたい電車のドアが閉まる、信号が赤になる、旅行で雨が降った、図書館が休館日だった、予約をしたのに歯科医院で待たされたと数々の不運を挙げ、さらに気持ちを落ち込ませていました。きっと、電車に間に合った時も青信号だった時も、旅先で晴れた日もあったでしょうが、そのような情報は記憶に残らず、自分が不運であることの確信を強める情報だけが選ばれてしまうようでした。
 そのような状態に陥っている時は、なかなか自分の捉え方の傾向に気づきにくいものです。いちど立ち止まって自分の捉え方に何かクセはないか、あるいは第三者の意見を聞いてみると良いと思います。
posted by MSCOスタッフ at 01:03| 心理エッセイ

2014年11月24日

個人化(personalization)

自分のせいだと思い込む

 認知行動療法では、自分自身の非現実的な思い込みに気づき、それを修正していくことを目指します。非現実的な思い込みにはいくつか典型的なものがありますが、今回はその中の「個人化(personalization)」を取り上げてみたいと思います。「個人化」とは、「自己関連づけ」とも言われ、他者の否定的なふるまいをすべて自分のせいだと思い込むことを言います。

「相手の気分を自分のせいにしていませんか」

 たとえば、家族やパートナーの機嫌が悪いとき、皆さんはどんなふうに考えるでしょうか。「私が何かしたのだろうか」と不安になり「きっと、私のあのときの態度が良くなかったのだ」と考え「だから私のせいだ」と思ったことが誰でも一度はあるはずです。

 実際、他者の不機嫌が自分と関係していることもあるでしょう。でも、まったく関係がないことも実は多いものです。たとえば、学校や職場で嫌なことがあったとか、大きなミスをしてしまって、その後始末をどうしたものかと悩んでいるとか。

 自分と関係のないことで相手が不機嫌になっているのに「私のせいだ」と思い込むのは、自分自身に対する攻撃です。私たちは、何かにつけ自分を攻撃しようとします。それは、誰の心の中にも「受け入れたくない自分」がいるからではないでしょうか。自分で自分を攻撃することで、自分の嫌いな部分をないものにしようとするのかもしれません。   

 また、相手が不機嫌な態度でもって自分を責めているように感じる、つまり相手が自分を攻撃しているように感じられることもあるでしょう。それは、前述のように思い込みの場合もあれば、実際、相手が意図的にそのように振る舞っていることもあります。でも、相手の不機嫌の原因が自分に関係があってもなくても、その気分自体を生じさせているのは相手自身なのですから、それは相手の問題です。いくら相手から不機嫌の責任を取れ、と言われたところで、私たちにはどうすることもできません。その人の感情をコントロールできるのはその人自身だけです。でも、私たちは、何故か相手の感情に対して責任を取ろうとするところがあります。それはもしかしたら、誰でも他者を自分の思い通りに動かしたい、動かすことができるという万能的な空想を抱いているからなのかもしれません。
 
 身近な人あるいは自分に関係のある他者の不機嫌な表情や気持ちの沈んだ表情は、私たちを不安にさせます。それは、他者を思い通りに動かすことができるという万能的な空想とは裏腹に、誰も自分の思い通りにはならないことがわかっているからでしょう。自分の思い通りにはならない、予測できないことは人を不安にさせます。他者を思い通りに動かすなんて非現実的だとわかっていながら、人は自身の不安を軽減させるために自分の努力次第で相手の気分を変えることができるはずだ、と思い込もうとするのです。
posted by MSCOスタッフ at 22:50| カウンセリング・キーワード

2014年11月02日

仕事に行き詰ったときに考えたいこと

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 仕事に行き詰まりを感じるときはありませんか。当たり前のように日々の仕事をこなして・・・とか、ただただ忙しさに追われて・・・など自分のやっていることがよくわからなくなることがあるかもしれません。そんなときに振り返っていただきたいのが、自分が「その仕事の何に魅力を感じてやっているのか?」ということです。一口で仕事と言っても、様々な仕事内容を複数こなしていることが多いかと思うのですが、どういうところに充実感を持てるか?その仕事の醍醐味は?という問いを自分に向けてみると、何かに気づくかもしれません。

 例えば、同じ「流通業・小売り業」という職業をしていても、売上をあげるために工夫をすることを仕事の面白み、と感じる人がいる一方で、お客様が欲しいものを買うことができ、笑顔で帰る姿を見ると、この仕事をしていてよかった・・・と思う人など、業種は同じでも、人によって仕事のどの部分にやりがいを感じるか、モチベーションがあがるか、というところは違ってきます。

 日常の業務をこなしていく中で、疲れやむなしさを感じたときは、自分が本来、充実感を持てる仕事がやれていないのかもしれません。接客をした方が充実感を得られやすいのに、販売に伴う発注業務で、事務作業が続いていたり・・・という状況が続くと、疲れや虚しさを感じやすくなります。または、本来の仕事というよりも、人間関係のごたごたに翻弄されていることもあるかもしれません。こういうときは、やりがいどころか仕事のモチベーションもあがらないでしょう。

 もちろん、仕事なので、好きなことばかりをするわけにもいかないのは現実なのですが、自分が充実感、満足感を得られるポイントを日頃から認識していると、意図せず色々な業務、事柄に巻き込まれたり、やらざるをえなかったりしても、軌道修正しやすくなり、自分が最も充実できる状況を、自分で作ってあげやすくなります。

これは、どんな仕事をしたらいいのか、何をしたらいいのか、などわからない人にとっても、これまでの人生で、どういうことをすると気分があがったか、充実感をもてたか、など振り返ってみると、おのずと自分に合う仕事が見えてくるかもしれません。

 このような作業は、自分自身を振り返って見つめるとわかってくることではありますが、自分のことは案外わかりづらいものなので、家族、友人、同僚や上司と話をしてみたり、カウンセリングなどを利用して、自分を振り返ったり、見つめ直したりすることも方法の1つです。
posted by MSCOスタッフ at 22:35| セルフメンタルケアのコツ

2014年10月09日

架空ケース:「周囲の目が気になり、自分にダメだししてしまう」

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<架空のケースを元に、実際に起こりがちな悩みとカウンセリングのアプローチを紹介しています>
 (2016.8.31 「周囲の人の目を気にしてたり人と比べて、自分にダメだしばかりしてしまう。」より改題・改稿)

 オフィスワークをしているAさん(30代 公務員 女性)。

 彼女は周囲に溶け込んで仲良くすることを大事に仕事をしていました。次第に上司からも信頼されるようになって、ひとりで任されることも増えてきてきました。しかしそうするうちに、周りの人の目がとても気になるようになってきました。
 そんな中で、頼ってくれる後輩は明るくていい子。他の人ともうまく付き合って、どんどん仕事を覚え、楽しそうにしています。そんな後輩が悪いわけでもないのに、顔を合わせると「ダメな自分より出来る子」に感じられて、なんだかイライラしてしまいます。そしてそう感じてしまうことがイヤになって自分にダメだしして落ち込んでしまいます。

悩みの構造
 周囲に溶け込もうとすることは協調性の表れですし、人間関係を温和なものにして安心して過ごせる居場所を作ります。反面、人に溶け込むうちに、合わせることが当たり前になり過ぎて、自分がわからなくなってしまうこともあります。Aさんが大事にしていたことには良い面と悪い面があるわけです。

 Aさんは、人に合わせるうちに信頼されるようになっています。これは自信につながってもいます。でも、いざひとりで任された仕事で自分の力を発揮しようとすると、溶け込むばかりではいられません。そうなると、どう振舞ったらいいのかわからない。 「合わせることに気を使う」⇒「周囲の目が気になる」という形に展開してきたようです。

 Aさんの「周囲の目が気になる」という悩みは、これまで自分にとって良い面になっていた「合わせること」から生まれているようです。そこに気付くことで、自分の悩みの構造を知ることになります。

 そして、先輩である自分に頼って周囲の人と楽しく付き合っている後輩は、自分が仕事を任せられる“成長”によって、なくなってしまった“妹”キャラクターをしているようで、自分の“席”を奪われたような気がするものかもしれません。そうすると、後輩と顔を合わせると、自分の居場所がなくなったような不安を感じることになってしまうのです。

こころのパターンのリフォーム
 Aさんは、周りに上手に溶け込んでいるのが良い人間関係だと思っていました。そうしないと職場で居場所がなくなる、周囲の人に嫌われてしまうと思っていたようです。

 カウンセリングでは、本人にとっては当たり前のことでも、そう思うようになった理由や経験があるのではないか、と注目します。例えば、Aさんは小学校でクラスでの流行にのらなかったことやちょっとした自己主張が、からかいの的になってしまってつらい思いをしたことがあるとか。その経験が、それから後のAさんの友達作りを変えて行ったかもしれません。

 意識しているわけではないのですがこころのどこかに理由や経験があって、いつの間にか自分の振舞いのパターンになっていること。それが、無意識に自由なはずの振舞いをしばっていることがよくあります。そしてそれは、何かのきっかけで悩みになってしまうことが多いのです。

 カウンセリングでは、そのパターンを抽出して組み直し、過去からのパターンを今の自分にあわせてリフォームしようと、話し合っていきます。
posted by MSCOスタッフ at 18:47| 架空ケース

2014年08月11日

自分を見つめる

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 私は小学校のスクールカウンセラーをしています。休み時間や相談の約束が入っているときは相談室にいるのですが、授業中は、教室に行って授業を受けている子どもたちの様子を見に行くという時間が結構多いのです。

 低学年(1、2年生)の多くは無邪気に迎え入れてくれます。しかし4年生くらいから、子どもたちの多くは、スクールカウンセラーが教室に入るや否や警戒の視線を向けてくるようになります。赴任したばかりの学校でも、すでに十分周知されている場合でも、それはあまり変わらないように思います。その視線は「私の何を見にきたの?」と詰問しているかのようです。

 4年生、10歳頃というのは、他者からの視線や評価に敏感になり始める年頃でもあります。それは、ちょうど自分というものへの意識(自己意識)が変化する時期でもあるからです。
自己意識は、自分が自分として主体的に生きていくためにとても大切なものです。10歳頃になると、自分について様々な側面から考えられるようになります。身体的な特徴や所有物といった『外面的』な特徴だけでなく、性格や対人関係の持ち方、過去と現在の比較など『内面的』な特性からも自分について語るようになっていきます。

 自分というものについて様々な側面から眺めるというのは、「自分を対象化すること」でもあります。自分を対象化して見ることを始めるこの時期は特に、否定的な側面が強調されて見えるようです。ちょうど中学生が、長い時間鏡とにらめっこして髪型を気にしているように。彼らには、髪の毛のほんのちょっとのハネも、居ても立っても居られない大きな問題のように感じられるのです。

 カウンセリングというのは、悩みや心の問題を通して、自分の心を対象化して眺める作業とも言えますが、自分の背中を自分で見ることが難しいように、自分の心を客観的に見るというのはなかなか難しいことです。それは、どうしても主観的なレンズを通して見ることになるからだろうと思います。髪の小さなハネが大問題のように感じられて仕方がないように、自分の心や、対人関係のあり方のある側面が強調されて見えてしまうことは自然に起こってきます。カウンセラーの役割というのは、主観的なレンズの色を中和するというか、主観的なレンズを通しては見えない視点を加えるというか、そんな風に言えるかもしれないと思うのです。

カウンセラーから見えてきたものと、自分の心を対象化して眺めてみたものとを、立体化させて、そこで新たに何が見えてくるのかを探す作業の連続、それがカウンセリングとでも言えるかもしれません。そこで見出されるものは、100%客観的な自分というよりは、どこか馴染みはあるけれど新たに発見された自分、とでも言うようなものかもしれません。
posted by MSCOスタッフ at 18:16| オフィス外での活動

2014年06月17日

『遊び』の持つ意味

バーベキュー

 梅雨が続きますが、晴れた日には爽やかな風が吹き、外で過ごす時間が気持ちの良い季節になりました。
 本格的なアウトドアシーズンを前に、BBQセットを買おうとお店に行った時のことです。そこには2つのグリルが展示されていました。1つはしっかりとした作りで少々揺らしてもビクともしないもの、もう1つはやや華奢で、手で揺らしてみるとグラグラします。1つ目の物の方がしっかりしているからこっちが良いな、と思いながら、念のため店員さんにお勧めを聞いてみました。
 すると私の思いに反し、店員さんからはグラグラする方がお勧めとの返答。店員さん曰く、アスファルトのように平坦な地面に置くのであればしっかりした作りでも良いけれど、土や川原など様々な条件の地面に置くことを考えるのであれば「遊び」があった方が対応しやすいとのことでした。それを聞きいてなるほどと思い、グラグラする方を選ぶことにしました。

 「『遊び』があった方が、様々な条件に対応しやすい」
。買い物の帰り道にそのことを思い出していると、なんだか人生にも通じる話のように思えてきました。この場合の「遊び」というのは「余裕」や「ゆとり」と言い換えられるものです。
 「しっかり」していることは決して悪いことではありませんが、それは「硬さ」にもつながります。平坦な道が続けば良いですが、人生、時には石ころだらけになったり、ぬかるんで滑りやすい道を歩いて行かなければならない時もあります。柔軟性がなく、余裕がない状態で今を生きていると予想外のことが起きた時にうまく対応できません。遊びの要素や心の余裕を生活に上手にちりばめることで、少々の変化や試練にも柔軟に対応でき、折り合ったりかわしたりということができるのでしょう。

 同じ「遊び」でも、子どもの「遊び」は豊かな人生を進む上での基盤となります。遊びの中で子どもは、自分から進んで何かと向き合う主体性、様々な出来事に対して試行錯誤する力、自ら考えたことに辿りつこうとする力を育んでいると言われます。それらは先ほどの平たんではない道を進む力にもつながってくるように思います。
 誰に言われなくても葉っぱを熱心に集め、何としても両手に持とうと葉がこぼれ落ちては拾うことを繰り返すうちに洋服の裾をもって器にすることを思いつき、最後は地面に広げてお店屋さんごっこを始める…。そんな風に没頭して遊びこむ子どもの姿からは、大げさかもしれませんが、小さな身体から生まれる大きなエネルギーを感じます。

 これら余裕やゆとりとしての「遊び」、豊かな人生につながる「遊び」を日々の中で忘れずにいたいものです。
タグ:遊び
posted by MSCOスタッフ at 13:57| 心理エッセイ