2017年02月13日

ストレスチェックをどう活用するか

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 ストレスチェックの制度が導入され1年を経過しました。カウンセリングの場でも「ストレスチェックを受けました」と結果を見せて下さるクライアントさんや、企業と提携してカウンセリングを請け負っている同僚の心理士が「ストレスチェックでストレスが高いと判定された社員の人とカウンセリングを行っている」という話を耳にすることも増えたように思います。

 会社によって、ストレスチェックのテストの結果をどのように企業として活用するのかは、とても難しい問題なのではないかと思います。それははかりしれないのでここでは、個人としてどう活用するのが望ましいかを考えてみたいと思います。

 実際ストレスチェックのおかげで、現在職場で困っていることが解決できたという話も聞きます。ある人は「企業と提携しているカウンセラーや職場の上司を通じて、人事も交えて配置転換などの建設的な問題解決がなされた」という話をされ、上手く活用できているなと感じます。

 ただ、会社の方向性・体制が時代とともに変化していく中での従業員のストレスや、個人個人の心の負担感はすぐ解決できるような問題ではないので長期的に取り組むことが必要になってくると考えます。企業内のカウンセラーや、ストレスチェックのフォローのために会社と一定期間提携している外部相談機関については、利用者も「何をしてくれるのだろう?」というような期待や不安で利用されるのだと思います。

 ストレスチェックにより相談を促された方は提携している外部相談機関のカウンセラーに、「自分の抱えているストレスは会社の上司に話をして問題解決できることなのか」、それとも「どうにもならないことなのだから個人のものの見方や考え方を変化させていった方がいいのか」などを試しに聞いてみるといいのではないかと思います。

 その他にも、「医療機関につながった方がいいのか」「法律家に相談した方がいいのか」などのすみわけもわかる場合もあるかもしれません。外部だからこそ、客観的に全体を見て何が最重要ポイントかがわかる場合も多々あります。

 このように最初は窓口的に活用するところから、「もう少し長期的に取り組んだ方が自分自身が楽になりそうだ」と感じられることがあるかもしれません。

 その場合、提携外部相談機関のカウンセラーでは回数や期間制限がある場合が多いので、長期的に相談できそうな場所を紹介してもらってもよいと思います。もしくは、費用は自己負担で同じカウンセラーで継続できる外部相談機関を探し、安定して相談できる人と場所を確保することも大事なのではないかと考えます。
posted by MSCOスタッフ at 21:04| セルフメンタルケアのコツ

2016年12月29日

感覚を大切に

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 子どもたちにドラマと造形のワークショップを行っている「所沢クリドラタウン」で、昨年に引き続き保護者の方たちと「子どもの育ち」についてのセミナーの機会をいただきました。今年は「感覚」をテーマにお話しいたしました。

 脳の発達にはさまざまな「感覚情報」が必要不可欠だということをご存知ですか。「感覚」と言うと、真っ先にイメージするのが「五感」。いわゆる「視覚」「聴覚」「嗅覚」「味覚」「触覚」です。これらの五感は、どこで何を感じているのか意識しやすく、「今感じている」ということも自覚しやすいと言われています。

 また、感覚の中には「無意識に使われている」ものもあります。「触覚」は、五感の中で他の4つに比べると本能に強く関わっている感覚で、無意識に反応する部分があります。触ったものの大きさや形、素材を判断するときに知的に情報処理を行う(識別系)のほかに、自分に触れたものに対して「エサだ!つかまえるぞ!」もしくは「敵だ!逃げなければ!」というように「本能的に」感じ取って反応するところ(原始系)があります。
 そして、その他に「無意識に使われている感覚」として、「平衡感覚(前庭覚)」と「固有覚」があります。

 平衡感覚(前庭覚)は揺れや回転重力感を感知する感覚のことです。体勢が崩れたり、転んだりしないように、バランスをとるのが主な働きです。眼球運動とも関係しています。クルクル回転した後に目が回るのも、実はこの感覚が大きく関係しています。また、平衡感覚(前庭覚)は自律神経とも関わりがあり、情動の変化にも影響を与えています。

 固有覚は、筋肉や関節の動きを感知する感覚のことです。目を閉じて、上に向けた手のひらの上に1冊本を置いたときと、5冊本を置いたときと、冊数の違いがわかるのは、重さの違いを認識する感覚があるからです。この重さの違いを感じ取るセンサーこそ、固有覚なのです。

 体を動かす遊びや、料理や創作などの活動は、いろいろな感覚を使う機会を与えてくれます。知識として知っていたとしても、実際にやってみないとわからない「実感」というものがあります。 わかったつもりにならず、今、目の前にあるものをそのまま感じることに大きな意味があると思います。
 例えば料理。ジャガイモ一つとっても、実際に見て、触って、においをかいでみなければわからない、ジャガイモの実感があると思います。いろいろな形があることを知り、肌触りを知り、畑からとれたばかりの土のにおいを知るでしょう。手に取ってみて重さを感じることもあるでしょう。茹でているときにもうもうと上がる湯気の熱さに驚きながら、やけどをしないように気をつけることを学ぶでしょう。体験してみて、自分の中のどんな感覚が動いたのか、感覚によって生じた自分の中のさまざまな気持ちの動きや考えを大事にしてほしいと思うのです。

 「知識」それ自体はとても大切なのですが、ときに知識があるすぎるせいで、体験から遠ざかってしまう可能性もあるのではないかと思います。体験から遠ざかると、感覚がそぎ落とされてしまうのです。たまには知識はわきにおいて、自分の体験に没頭してみるのも悪くないものです。
 自分が体験した感覚には「正解」も「不正解」もありません。どれも「本物」です。その本物の感覚を大切にしていけるとよいと思うのです。子どもだけでなく、子どもと一緒に体験する大人も、感覚を大切にし、体験に心を開いてみてください。大人が楽しそうにしていると、子どもも安心して楽しむことができるのですから。

 感覚がうまく統合できず、日常生活に差しさわりが生じている場合は、より専門的な支援として「感覚統合療法」というものもあります。アメリカの作業療法士エアーズが考案した療法です。感覚統合療法では、子どもが「楽しい」と思える活動が取り入れられています。作業療法士が、感覚入力を整理し、子ども自身がいろいろなことに気づいたり、適切に体を対応させていけるよう、工夫して関わっていきます。
posted by MSCOスタッフ at 22:34| オフィス外での活動

2016年11月28日

コミュニケーションは難しい!

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 私はいくつかの企業でカウンセラーとして勤務しています。研修やグループ懇談で、よくでる質問の一つが、上司、部下、同僚とどうコミュニケーションをとればいいかわからないということです。特に最近では、上司が部下に対して、また異性の相手に対してどのような発言がハラスメントになるのかという質問が多くあります。
 その際、伝え方や聴き方のコツをお伝えしますが、その前提として皆さんと共有したいこととしてお話しするのが、「コミュニケーションは難しい」ということです。

 コミュニケーションは「送り手と受け手と言語的・非言語的なメッセージを用いて、やり取りとして共有すること」で、送り手と受け手から成り立ちますが、送り手の発言は送り手が持っている価値観や経験から発せられ、また送り手のその時の声の調子や抑揚など態度やしぐさも加わって、受け手に伝わります。
 一方受け手は、受け手が持つ過去の体験や価値観、今おかれている状況によって、受け取り方が変わります。正確に相手に伝えること。相手の発言を理解するということは、基本的には難しく、『コミュニケーション』とはそこで生じるズレや誤解を調整することと言われています。 (参照:「自己カウンセリングとアサーションのすすめ」金子書房2000)

 こんな例がありました。Aさんは普段とても真面目にきちんと業務をこなすタイプの人です。上司はAさんにある業務を依頼しましたが、他の業務も重なって忙しい状況を気遣い「君に負担をかけているね」と伝えました。
 この時Aさんは「また自分ばかりに責任をおしつけられている」というマイナスな思考が浮かびました。過去に別の上司に多くの業務を依頼され負担が大きいのにもかかわらず「大変だ」という状況を伝えられなかった体験がありました。その苦しい過去の経験が反射的によみがえってしまったのです。
 しかし、少し冷静になりAさんは現在の上司の人柄や状況をあわせて考え、今回は“仕事の押しつけ”ではなく、“気遣いつつ依頼してくれた”と思考を変えることができ、その仕事に前向きに取り組むことができました。

 「やりとり時の背景やそれぞれ価値観が違うなんて当たり前!」そのように理解していたとしても、自分に負担がかかっている時などは、目の前にいる相手とは違う他者や、自分の価値観が重なって、メッセージを異なって受けてしまうことが起こります。本来ズレを調整してお互いを理解していくには、やり取りの繰り返しが必要ですが、現代は各々が多忙で、メールやSNS上のやりとりが中心となり、相手を理解しきれないまま負担を抱えていることが多いように感じます。
 そういう今だからこそ、コミュニケーションは基本難しいということ、やりとりの繰り返しが必要であること。それを共有することは、相手と自分の関係をより冷静かつ客観的に捉えられることに繋がるということを深く理解してもらう為に、私も繰り返しお話をしています。
posted by MSCOスタッフ at 22:09| 心理エッセイ

2016年11月10日

マインドフルネスで「感覚」を取り戻す

マインドフルネス

 先日、知人が「面白いから読んでみて」といって『バカ田大学講義録なのだ!』(文藝春秋社2016)という本を貸してくれました。赤塚不二夫の生誕80年企画として東京大学で開講された「バカ田大学」の講義内容を一冊の本にまとめたものです。
 各方面で活躍している方々が、様々な切り口で赤塚スピリットを語っていて、どの講義もとても面白いのですが、中でも養老孟司さんの講義内容は心理士として非常に興味深いものでした。

 「バカと天才の壁」というテーマの講義の中で、養老さんは、動物と人間の違いを「感覚」と「意識」という切り口で説明しています。
 動物のように「感覚」に依存して生きている生物は、「違い」の上で生きており、たとえば、教室に大勢の人がいると色いろな「違い」を感じてしまい怖くて逃げ出すだろうというのです。
 「意識」に依存して生きている人間は、違うものを「同じ」にする能力(「概念化」する力)を使い、知らない者同士とはいえ、そこにいるのはみんな同じ人間なので、受講者はみな「だいたいこの範囲におさまる行動をとるだろう」と想定し安心するわけです。
 しかし、「意識」ばかりを使っていると、「感覚」による「違い」がわかからなくなり世界は”ぐるぐる回し”になって出口が見えなくなってしまうのだそうです。

 養老さんの講義の結論は「感覚の復権」「感覚を取り戻そう」ということでした。最近、心理学の世界では、「マインドフルネス」という心理療法が注目されていますが、それはまさに養老さんのおっしゃる「感覚の復権」を目指すものではないかと膝を打つ思いがしました。注目を集めているのが、心理の世界だけなくビジネス界でも、というのが面白いところであり、また納得させられるところでもあります。現代に生きる誰もが、肥大化した意識に圧迫されて息苦しい思いをしているのではないでしょうか。

 私は、マインドフルネスの技法のひとつである「ボディスキャン」を自分のカウンセリングの中に取り入れているのですが(仰臥位ではないので厳密には技法とは違うのですが)、身体の「感覚」ひとつひとつに注目してみると、いかに私たちの感覚が多様で、また頼りないものであるかがよくわかります。養老さんが、「意識は増幅装置だ」という言い方をしていますが、私たちは、音や匂い、痛みや痒みなど、いろいろなものが入り混じった状態である生の「感覚」をそのまま感じるということが苦手で、「意識」を使うことでその混沌とした「感覚」の一部を増幅し自分の中に収めやすいように意味のあるものとして整理しようとするようです。

 「感じる」ということは、今この瞬間の自分自身の状態に気づくということです。「感じて気づくこと」が、実は気持ちを楽にし、大きな安心感を得ることにつながるのです。マインドフルネスでは、自分の呼吸に注目する瞑想や歩行瞑想、食べる瞑想、ボディスキャンなどを通じて、「今この瞬間の感覚」をそのまま感じることを目指します。不安感が起きたり否定的な考え方が浮かんでも、それをなくそうとすることはしません。養老さんの言葉を借りれば、意識で増幅せずあるがままを受け入れるということです。あるがままに「感じて気づくこと」で問題解決の糸口が見えてくることもあります。頭で考えずに「感覚」を通してしっかりと自分を感じることで得られる心の変化をカウンセリングの中で確かめてみてはどうでしょうか?
posted by MSCOスタッフ at 14:15| マインドフルネス

2016年09月28日

カウンセリングと薬物療法の幸せな関係

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 一般にカウンセリングでは、クライエントはカウンセラーの力を借りながら自己の内面を探索し、変化のきっかけをつかんでいきます。クライエントはカウンセリングを通して「変わること」「成長すること」を実現していくものです。私は精神科医ですが、単に病気の治療を、それも対症療法にとどまるだけの薬物療法を行うことにあきたらなくなり、カウンセリングの世界に入ってきました。そんな私ですが、精神科医としては、時にはかなり積極的かつ大胆に、薬物療法の力を借りることがあります。それは、例えば以下のような場合です。

 不安という現象を考えてみましょう。人は、心理的な安全が脅かされたり見通しがきかない不確かな状況に置かれると不安になります。カウンセリングであれば、不安を抱かせる状況を整理し、過去の体験に影響された思い込み(認知)を探り、「何を恐れているのか」(不安の意味)を理解した上で、不安を克服することにつながる具体的な行動について、カウンセラーとクライエントが共に考えていく、という過程を経て回復・治癒が生じます。これらは、いわば「こころ」のプロセスです。
 しかし不安が生じるとき、多くの場合「からだ」にも症状が現れます。交感神経が過剰に興奮して動悸や過呼吸が生じたり、場合によってはドーパミン系やセロトニン系の神経回路が連動して複雑に作動し「逃避反応」を起こさせたりします。このような現象は、いわば「からだ」の一部である脳が勝手に起こすもので、意志の力で制御することは難しいものです。
 前述のような「からだ」の反応が生じているときが、薬物療法の出番なのです。薬は神経系の偏った興奮を鎮め、クライエントが自分の力で困難を克服し変化をつかむことの、手助けをしてくれます。薬で人が変わることはありませんが、変化のきっかけを探している人にとっては、薬は背中を押してくれる存在になるものです。

 こんな例もあります。不登校に陥っている中・高校生から、「朝になると身体が言うことを聞かず、動けない」という訴えを聞くことがあります。以前ならそれは「やる気の問題」とされ、「本当は行きたくないのだ」(すなわち「こころ」の問題)という解釈を下されがちでした。しかし、不登校に陥っている少なからぬ人が、体質的に朝が極めて苦手、ということを私は経験的に知っています。それに対して、ある種の抗うつ薬や、注意欠陥多動症に使われる薬物を少量投与することで、状態が劇的に改善することがあるのです。「からだ」が楽に動くようになればしめたものです。薬を服用しながら「こころ」のハードルを健気に乗り越え学校に復帰した中高生を、私は何人も見てきました。

 その関係がよくわかっているカウンセラーは、薬が必要と判断されると、タイミングを慎重に見計らって、私が勤めるクリニックにクライエントを紹介してきます。その場合、薬物療法の目的が明確で、医者としては極めて治療がやりやすいと感じます。私自身、5分診療では患者さんに伝えたいことが十分伝えきれずもどかしい思いを抱くことが多々ありますが、信頼できる臨床心理士にカウンセリングを受けている方なら、私は安心して薬物療法に徹することができます
 「こころ」と「からだ」が手を携えて健康に向かう、私はそのお手伝いをしたいと願っています。
タグ:薬物療法
posted by MSCOスタッフ at 11:01| ドクターから

2016年08月31日

架空ケース:「失敗が怖くて前向きになれない」

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<架空のケースを元に、実際に起こりがちな悩みとカウンセリングのアプローチを紹介しています>
 「失敗が怖くて前向きになれない」ことを悩み、軽いうつ症状もあるCさん(20代 会社員 男性)。

 仕事で、先輩として後輩のいい見本にならないといけないと思って、周りの目を気にしてしまう。そこまで求められていないのに、空回りしてしまって、周りの人に評価されていないと、自分にイライラしてしまう。といったことが続いているそうです。

自分の中の審査員
 詳しくお聞きすると、どうやら心の中で自分自身を審査する部分が強くなっているようです。“自分の中の審査員”は、両親からの影響を骨組みにして、さまざまな経験や自分なりの感じ方で形作られているものです。これは、誰もが大なり小なり持っているものですが、強くなりすぎるとバランスを崩しやすくなります。

   Cさんの場合は、「お兄ちゃんなんだからしっかりしなさい」といった母親からの日常の言葉かけから始まって徐々に身についた“お兄ちゃんらしさ”が、審査基準になっているようです。それ自体は自然なことなのですが、大人になった今、なぜバランスを崩すことになったのでしょう?

行動基準・評価基準がわからない
  社会人になったCさんは、憧れを感じる先輩に出会えて、その先輩に認めてもらおうと日々頑張るようになりました。しかし次第に焦り、イライラするようになっていきました。

 先輩のようになりたいとがんばっていると、“自分の中の審査員”は気づかないうちに『“お兄ちゃんらしさ”を発揮すること』からいつの間にか『“その先輩のようなお兄さん”でなければダメだ。』というように審査基準を変えてしまったのです。

 そうして「この自分のままではダメだ。」と思うようになり今の自分は価値のないもののように思えて、どうしたらいいのかすっかりわからなくなってしまったようでした。

自分らしい行動基準・評価基準の獲得
  自分の基準を見出すというのは、意外と難しいものです。自己中心的な理想を掲げても駄目ですし、周りから取り入れたものばかりでやっていこうとしても、芯のないハリボテになってしまいます。基準にする自分というのは、いったいどんな自分なのか。カウンセリングでは、自分らしい行動の基準や評価の基準を見い出し、取り戻していく作業を丁寧にしていきます。

   Cさんとのカウンセリングでは、まず自分に対して審査員の目でみていることに改めて気づかせ、ゆっくり考えを巡らせてもらいました。そこから、いつも審査員でなくても良いのではないか、自分をモニターすることは大事だけれど、そこに審査をいれなくても良いのではないかと考えてもらいました。

  次に、いつの間にか先輩のようにならなければいけないと思っていたのは、どこから来ているのかを振り返りました。社会人になって自分が身につけてきた“お兄ちゃんらしさ”が通用しなくなったと感じて、新たに自分のモデルとなる人を無意識に探す気持ちがあったことがわかってきました。

 それに気づくと、もう少し、自分の個性や経験を大切にしてもいいのではないかと感じるようになり、自分が持っているのに放り出してあるものを掘り起こして、活用できるものを探す作業になっていきました。その頃には、Cさんは自分を肯定できるようになっていて、前向きな気持ちをもてるように変わっていました。

posted by MSCOスタッフ at 23:17| 架空ケース

2016年07月05日

ストレスチェックを受けてみて

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 ストレスチェック制度が導入され、受けられた方もいらっしゃるのではないかと思います。
 私も職場でストレスチェックを受ける機会がありましたので、受けてみて感じたこと、考えたことをお伝えしたいと思います。

 私が受けたのは、マークシート方式で、解答に5分程度かかるものでした。他の職場の人に聞くと、web上で解答するなど、色々な方式があるようです。

 職場のこと、健康のこと、家庭生活のことなど大きく3つの項目に分かれていました。導入されるときから、会社の人事や上司に伝わらないというアナウンスがあっても、伝わることをおそれて、本当のところは答えない人もいるから、正確なチェックができるのか?という危惧の声も巷で聞こえていました。
(チェック結果は本人の同意なしに会社には開示されません)

 実際受けてみると、やはり会社に伝わらないとはわかっていてもやはり本当のことはマークしづらいなと実感しました。具体的な仕事の負担感、人間関係などは、きっと無難な解答にするだろうなというのは感じました。健康状態は、ややつけやすく、本当に近い解答をつけることができました。家庭生活におけるチェックも、大事だなと感じました。受けた方の感想をちらちらうかがうと、「あんまり大したことを聞かれていないから、あれで役立つデータが得られるのかな」とか、「解答を自分で操作できるからどうだろう」などの話がありました。

 ストレスチェックを受けて思いましたが、最終的にどのように判定されるか、ということよりも、質問項目による問いかけから、自己チェックとして活用することに意味があるのかなと感じました。

 私自身もつけてみて、あーやはり体が疲れているのかなーとか、職場に対しても、自分はこんな風に捉えているんだな、など、自分がチェックすることにより、不調なところ、うまくいっていないところ、逆に、なんとかやれているところが、よくも悪くも自覚されます。それをそのままにせず、もし不具合なところがあったら、改善するにはどうしたらいいかを考えることが大事だなと感じましたし、ストレスチェックの有効活用でもあるのかなと思いました。

 チェックの結果で実際、これって病院に行ったらいいの? 環境調整が必要なの? どうにもならないことなの? など、不具合とわかっても手立てがわからない、ということも多いと思います。そういう場合は、カウンセリングなどで、相談をしてみることも、問題解決につながるのではないかと考えます。
posted by MSCOスタッフ at 22:47| 心理エッセイ

2016年05月26日

ネガティブな感情体験とどう向き合うか

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 私はスクールカウンセラーとして小学校に勤務しています。休み時間の相談室には「相談」というわけではなく、なんとなくおしゃべりをしに来る、という子が意外と多いのです。
 他愛ないおしゃべりの中に、子どもの怪我の話があります。包帯や湿布を貼っていると、思わず「どうしたの?」とこちらから聞いてしまうからです。 「転んでぶつけた」。「サッカーの練習でほかの子とぶつかって」。「切っちゃったの、図工に時間に」等など。怪我の理由はさまざま。スクールカウンセラーが、痛みを想像して思わず眉をひそめて「痛そう」と言うと、なぜか少しうれしそうな顔をする子もいます。

 「痛い話」を聞きながらスクールカウンセラーが「痛そうな顔」をするほど、子どもたちは楽しそうになるのです。こちらは話から痛みを想像してしまい、大変な思いなのですが。子どもたちは、自分の話にスクールカウンセラーが反応してくれるのが楽しいのでしょうか。痛みを分かってもらえたと感じる部分もあるのでしょうか。スクールカウンセラーは、話を聞いて想像しながら、自然にその痛みやつらさに共感しようとしていたのだと思います。

 痛みに限らず、ネガティブな体験をしたとき、子どもがそれを乗り越えていくには、共感してくれる大人の存在が不可欠です。痛みやつらさを一緒になって味わってくれる大人の存在、「わかってもらえた」という体験を通して、子どもは安心感を得ることができ、つらい体験を乗り越えていけるのです。
  「痛いの痛いの飛んでけ!」 怪我をして痛がっているときによく言われるこのフレーズは、「痛みがそこにある」という前提です。このフレーズを大人が言ってあげることに効果があるのは、その痛みを一緒に味わってもらった上での「飛んでけ!」(乗り越える、我慢できる)というプロセスを意味しているからです。

 痛みを感じているときに「大丈夫!」と声をかけることがあります。元気づけるためや、痛みに対する耐性を育てるためです。しかし「大丈夫!」という声かけは、励ましになるのですが、痛みやつらさの存在を否定するニュアンスも含んでいるところがあるので、要注意です。言い換えると、子どもが体験している痛みやつらさの持っていき場を失ってしまう可能性も含んでいます。「痛かったよね」「怖かったよね」「悔しかったよね」。ネガティブな体験の存在をきちんと受け止めてあげた上で「大丈夫!」と言ってあげることによって、子どもの中のネガティブな体験を乗り越える力を育てていくことができます。

 子どもが感情を調整したり、感情に対する耐性を身につけていくためには、子どもが自分自身の感情の状態を知ることが必要ですが、そのためには、大人が『心』を使って、子どもの心の状態を推し量り、それを照らし返してあげるという過程がとても大切なのです。
posted by MSCOスタッフ at 22:11| オフィス外での活動

2016年04月28日

自分と向き合うことについて

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 趣味として写真表現の勉強をはじめた頃、「一般的な美意識ではなく、自分自身が美しいと感じるもの、面白いと感じるものを撮るのが写真表現だ」ということを繰り返し叩き込まれました。きれいな花を見れば、誰もが「きれいな花だ」と思いますし、美しい景色を見れば、誰もが「美しい風景だ」と思うものです。でも、それは、本当にその人が感じていることではなく、「きれいな花」「美しい風景」という記号化されたイメージを取り込んでいるだけ。そういうものを写真に収めたところで、それは、ただ「一般に美しいといわれているものだから写真に撮った」という撮影行為でしかなく、写真表現ではないのだということです。

 さて、そのように叩き込まれて自分独自の表現を求めてカメラを構えるわけですが、一般的な美意識を離れて、自分自身が美しい、面白い、と思う写真を撮ろうと対象物と対峙したときに、このもの(ひと)のここが面白い、と自覚することは、実は容易なことではありません。「何か心を惹かれる感じ」や「違和感」があればカメラのレンズを向け、ひたすら写真を撮り続けるしかありません。でも、それをプリントして形にしてみると、自分が何を見ていたのか、どんなものを面白いと感じるのかがぼんやりとわかってきます。
 さらに、目の肥えた写真家がその写真を見ると「あ、ここが面白かったんだね」とわかってくれたりする。自分ではぼんやりとしかわからなかった感覚が、他の人に見てもらうことで確認でき、きちんと形になることも多いのです。「そう。そこなんです」と共有できることの楽しさ。「人からわかってもらえること」のうれしさに心が躍る瞬間です。そういうことを繰り返していく中で、だんだん自分自身の撮りたいもの、自分自身の個性が見えてきたように思います。

 ひたすら写真を撮り続けてプリントすることを繰り返す作業は、なかなかしんどいところもあるのですが(特にフィルム写真は暗室作業があるのでたいへん)、それでも、自分の撮った写真を自分と一緒に面白がってくれる人がいることがうれしくて夢中で写真を撮り続けました。そして、「写真を撮り、見てもらうこと」を繰り返す中で私自身が思うようになったのは“人間というのは、自分を理解してもらいたい欲求が非常に強いのだな”ということです。
 これはおそらく、花や風景、人物をどうやったら上手く撮れるか、という一般的な『写真の撮り方教室』では感じなかったことではないかと思います。『写真表現』を突き詰める過程で見えてきたことなのです。

 人間という存在は、自身の個性を表現し、それを誰かにわかってもらいたい欲求があるのではないでしょうか。でも、そのためには、自分が何を見て何を感じているかを自覚しなくてはならない。つまり、自分自身と向き合わなくてはならないのです。
 花の美しさを誰かに伝え、共有できたとしても、“自分をわかってもらえた”と感じることはできないはずです。自分自身の独自な部分を自覚して、それを他者に伝えることを通じてしか、本当の意味で“自分をわかってもらえた”とは感じられないのではないでしょうか。「独自な自分」は、必ずしも他者から賞賛され、好かれるように感じられないかもしれません。でも、それが自分なら、受け入れていくしかないのだと思います。

 カウンセリングに来られる方の多くは、「人から受け入れてもらえないような自分は嫌だ」と言います。だから、そういう自分を隠して、あるいは、はじめから「いないこと」にして、人から受け入れられるように振る舞うのです。でも、自分からそのようにしていながら、一方で「誰もわかってくれない」とも言います。「本当は、自分のことをわかってほしい。でも、ありのままの自分では誰も受け入れてくれないだろう。それなら、人から好かれるような自分を演じている方がましだ」ということです。ただ、皆さんカウンセリングを受けに来られているわけですから、そのことが実はとても苦しいということなのです。

 自分自身と向き合うのは、確かに勇気がいることですし、苦しいものです。でも、自分と向き合い、欠点だらけの自分を自覚してそれを伝えることができたら、どこかにそういう自分を理解してくれる人がいるかもしれません。誰か1人でも理解してくれる人がいたら、それはどんなにかうれしいことでしょう。
posted by MSCOスタッフ at 17:09| 心理エッセイ

2016年02月26日

『ストレスチェック制度』義務化について

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  2015年12月から始まった『ストレスチェック制度』 。50人以上の従業員のいる全事業所にたいして義務化されました。
全体の流れは図のようになっています。
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(ストレスチェックの流れ(厚生労働省ウェブサイトより引用) クリックで拡大します

  図といってもなんだかやわかりにくいので、ポイントをご説明したいと思います。
  まず、Aの矢印のところ。ストレスチェック制度は、医療やメンタルヘルの専門家が実施することになっています。産業医をはじめとした医師や保健師、一定の研修を受けた看護師や精神保健福祉士です。そのために必要な手配や経費などは事業所が負担します。その点では、身体の定期検診のメンタル版とも言えます。
  次にBのところ。定期検診とはっきりと異なる点です。個人の情報の問題。ストレスチェックの結果は、事業所には報告されません。実施した専門家が情報を厳重に管理することが義務づけられていて、本人の同意無しには決して事業所に知らせません。
  Dにあるように、この制度の目的は、個々人が自分のストレス状態に気づくことを通して、セルフケアに意識を持ち、行動してもらう事だからです。
  また、Cの矢印にあるように、事業所はストレスチェックのデータから統計処理された全体の傾向を分析されます。ここから、事業所が抱えるストレス要因に目を向け、自らの改善目標を組み立てることが望まれています。過去、雇用者が被雇用者に定期検診の機会を用意することが当たり前になる社会の変化があったように、現代では社会全体のメンタル不調に対する意識が変わってきていることの表れとも言えるでしょう。
  そして大切なのは、高いストレス状態にある働く人へのケアですEの矢印にあるように、本人が希望すれば面接指導や就業上の調整が行われます。これは、あくまで本人の希望・申し出があってからのことですが、医師の面談指導を受けることを選べます。さらに必要に応じて、Fのように相談機関や専門医への紹介があります。
  本人に希望がない場合にも、高いストレス状態に対処するための情報や相談機関等の情報が提供されます。
  どうやら『ストレスチェック制度』の大きな目標は、個々人が自分のストレス状態に気付きセルフケアをすること、事業所が働く人のストレスを事業所の問題として捉えることにあるようです。私たち働く人としては、自分たちのココロの健康のケアに対して、事業所がひと役かってくれると捉え、かしこく活用したいものだと思います。
posted by MSCOスタッフ at 17:01| 心理エッセイ