2017年08月11日

架空ケース:「依頼されたことができるかどうか不安だ」

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<架空のケースを元に、実際に起こりがちな悩みとカウンセリングのアプローチを紹介しています>
 上司に頼まれたことができるかどうか不安になってしまった、Dさん(20代後半 会社員 男性)。

 Dさんは、与えられた仕事はコツコツと取り組み、確実に結果を出してきました。その仕事ぶりで上司や同僚からの信頼は厚く、入社5年目の春に上司の推薦で主任に昇格しました。
 そんな中、上司から「これまでに担当した仕事の成果をまとめて、来月の会議で発表して欲しい」と頼まれました。この会議は来年度の予算決めの参考とされる重要な会議です。Dさんは早速資料作りを始めたのですが、次第に不安が大きくなり、憂うつな気分になってきてしまいました

悲観的な予測
 今、Dさんを不安にしていることを言葉にするように促すと、資料作りを進めていくうちに考えるようになったことを振り返りました。
 「これまで担当した仕事を振り返ってみましたが、こんなことを成果と言っていいのだろうか?求められている水準に達していないのではないか?という思いが頭をよぎるようになりました。とはいえ、成果が少ないと評価が下がり、予算が削られてしまうかもしれません。こう考えていたら、なかなか資料作りが進まなくなってしまい、このペースで間に合うだろうか?とさらに不安になってきて、やる気がなくなってしまいました」

 このように不安を喚起する思考の背景には、多くの場合“悲観的予測”が横たわっています。Dさんの場合は、「間に合わないかもしれない」「求められている水準に達していないかもしれない」「評価が下がってしまうかもしれない」などです。悲観的な予測は不安の要因にもなりますし、エネルギーを現在から引き離し、未来へと向かわせます。Dさんは未来の不安が強くなり、今取り組むべき作業にエネルギーが向けられなくなっていました

不安解消のエクササイズ
 この“悲観的予測”に対して、まず、未来は100%予測できないという視点を導入します。未来は100%予測できないという視点を持つと、不安を喚起する思考を正当化しようとする態度から、自分を探求していこうとする方向へシフトしていきます
 探求へとシフトしたら、次に、Dさんの思考が自分を苦しめる結果になっていることや、不安にさせるのはDさんの思考であり、今のありのままの体験ではないことへの気づきを促します。そして、それはDさんにとってどういうことだと感じるか、時間をかけて考えてもらいます。

 Dさんは、「求められている水準に達していないかもしれない」「評価が下がってしまうかもしれない」という考えの背景に目を向け、高く評価されたいという気持ちがあることに気づきました。そして、主任に昇格した気負いもあり、いつの間にか5年の実績以上の高い評価を望む気持ちが生まれていたかもしれない、と考えました。
 また、予算のことは、会社の業績や事業展開によって変わるので、自分が責任を負うことではないと思い、余計な力が入っていたことに気づきました。

 さらにDさんは、悲観的な予測をすることは自分自身にとってどんな意味があるのだろうか?と考えました。すると、先ほど、実績以上の高い評価を望む気持ちが生まれていたのかもしれない、と考えた時、一方でその考えを認めたくないという気持ちもあることに気づきました。そして、悲観的な予測というものは、もしかしたら、自分が見たくない感情や現実を覆い隠し、直面しないようにしているのかもしれない、という考えに至りました。

 Dさんは、今取り組むべき作業にエネルギーが費やせなくなっていたことを強く自覚し、資料作りに意欲を持てるようになっていきました。

※システム・センタード・アプローチの「不安解消のエクササイズ」を適用したケースです。
posted by MSCOスタッフ at 00:00| 架空ケース

2017年08月10日

不安解消のエクササイズ

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 先日、システム・センタード・アプローチ研究会が主催するセミナーに参加しました。このセミナーは、イボンヌ・アガザリアンという、アメリカの心理療法士が創始したSCT(Systems-Centered Training/Therapy/Approach “http://www.systemscentered.com/”)の理論を学びながら、グループや個人のシステムについて理解し、自己理解と他者理解を深めることを目的としたグループ体験をするというものでした。

 SCTでは、気持ちがどのようにして生じたか、ということを重要視します。私たちは気持ちを言葉で語りますが、気持ちを表す言葉には「楽しい」「怒っている」など、感情をシンプルに表現するものと、「捨てられた」「無視された」など、その人の体験から生じた気持ちとそれにまつわるある種の考えや解釈の両方が合わさった複雑なものとがあります。
 実際の体験そのものから生み出される気持ちと、「捨てられた」とか「無視された」といった体験の解釈によって生み出される気持ちは異なっています。また、「捨てられた」とか「無視された」といった枠づけが生じると、その人は自動的に犠牲者の役割を取ることになります。  
 SCTでは、これらの枠づけ(防衛)をほどいて、ありのままの感覚的な体験からくる気持ちと、思考に誘発されて出てくる気持ちとの違いをわかるように探求し、まだ見ぬ新しいものを発見することを目指しています。

 このセミナーではいくつかのグループエクササイズを体験しました。なかでも「不安解消のエクササイズ」は不安な気持ちになった時に役に立つのではないかと思いました。
 このエクササイズでは、不安がどこから来ているのかを探し出し、思考に誘発されて出てくる気持ちと、私たちが本来注意を払うべき本物の体験との違いを見出そうとします。
 私たちが現実を確認しないまま、悲観的な予測を説明的に語る時、不安は高まってしまいます。また、楽観的な予測は、私たちが現実検討することから遠ざけてしまいます。SCTでは、不安は現実を間違って解釈しているシグナルだと考え、悲観的・楽観的予測は、私たちの探求心や一般常識を奪ってしまうと考えます。
 まず、「今、あなたを不安にしていることを言葉にしてみましょう」という問いかけがあり、自らの現実をチェックするように要求されます。
不安は、だいたい、次の3つの出所の中のどれか一つから湧いてきます。
 ・不安を喚起するような考え(悲観的な予測や、他者が考えていることに対する恐れ、など)
 ・あまりなじみのない身体感覚
 ・不確かさそのもの
 例えば、「友達に知れたら、嫌われるかもしれない」というのは、不安を喚起する思考です。不安にするのはその思考であって、現在の体験に対する防衛であり、今のありのままの体験ではないのです。
 エクササイズでは、「あなたは未来を100%予測できるのですか?」という介入をし、自分自身の思考が自分自身を苦しめる結果になっていることへの気づきを促し、さらに、どう感じるかを探求します。悲観的な予測がもたらす代償や、遠ざかっていた今のありのままの体験に目を向けていきます。

 好奇心を持ってまだ知らない新しいものに出会うことが、私たち人間のシステムが発達するための第一歩だ、とSCTは主張しています。私は、このセミナーに参加し、いつもの慣れ親しんだ考えやパターン、思い込みのために不安やあきらめの気持ちに支配され、前に進むチャンスを逃してしまうことがあると再認識しました。好奇心を持ち、未知のものとの出会いを楽しむことができたら、人生が豊かなものになるのではないかと思います。

 セミナーで学んだことをもとに、「依頼されたことができるかどうか不安だ」と感じている20代後半の会社員の架空ケースを別記事でご紹介します。

(参考文献:イヴォンヌ・M・アガザリアン著 鴨澤あかね訳 『システム・センタード・アプローチ −機能的サブグループで「今、ここで」を探求するSCTを学ぶ−』 創元社)
posted by MSCOスタッフ at 17:55| 心理エッセイ

2017年06月28日

自分が予期せぬ病気になってしまったとき・・

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 先日、病気の治療をしながら働く人の職場での支援についてお話を聴く機会がありました。この時の病気は癌疾患でしたが、治療中の8割の人が仕事の継続を望んでいるそうです。また、職場に相談しない人の半数以上が「周囲に心配をかけたくないから」という理由だそうです。(東京福祉保健局 がん患者の就労等に関する実態調査(H26))
 そして、癌治療中のメンタル面のサポートはされやすいが、それ以外に診断前の検査段階、治療方針検討期間、治療後の経過観察期のサポートも必要であるが、実際に相談できる場は少ないとのお話もありました。

 それまで健康で過ごしてきたところに、心身の疾患や障害が生じた時、その重大さによって出現の大きさの違いはあるとはいえ、ショックや混乱、病気の否認やそこから逃避、抑うつ、怒り、悲しみなど様々な感情や現象が生じます。
 そして治療中、また疾患によっては治療後も再発の不安や今後の生活への不安が続きます。それでも多くの場合は、普段の生活(仕事、育児、介護、家事など)と両立が求められ、疾患の治療や普段の生活の維持に重点がかかり、ご自身のメンタル面へのケアの優先順位が下がりやすくなります

 適切なメンタル面のサポートを受けることで、ある程度納得できる治療に向えることができたり、生活を送る上で負担のかかり過ぎない手段が見つけられたり、自分のおかれている状態を少しずつ受け入れられることに繋がります。
 一人で抱え込みすぎずに相談機関などをうまく使いメンタルケアを行なうことが重要です。その際にサポートし合える職場の風土作りの重要性も改めて考えさせられました。
タグ:病気
posted by MSCOスタッフ at 14:57| 心理エッセイ

2017年05月14日

更年期とストレスマネジメント

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 5年ほど前から更年期症状に悩まされています。もっともつらいのはめまいと不眠、疲れやすさなのですが、その症状が強く出る日とまったく出ない日があるので、これは何かしらのストレスと関係しているのだろうと思い、セルフモニタリングを通してストレス因を探るのがこの数年間の習慣になっています。

 ストレスの原因は、一般的にはメンタル因を推測しがちですが、日々セルフモニタリングを続けていて感じるのはストレス因には意外と環境因も大きいということです。たとえば、冷房の効いた場所で長時間過ごすと体温の調節がうまくいかなくなり発熱するとか、長時間騒がしい環境に身を置いた後は肩から背中あたりの強張りや緊張が強くなり不安感が誘発されるとか。

 更年期症状というのは、どれも自律神経の乱れから起きる症状ですので、どういうことでその乱れが生じるのかという原因やパターンを知っておくことがとても大切だと感じています。前述のような環境因だけでなく、たとえばやることがたくさんあり過ぎてこなせるだろうかと不安になり、それがめまいの症状につながるなどというメンタル面からくる症状もありますので、いろいろな側面から症状とのつながりを見ていく必要があります。

 いずれにしても最も重要なことは、自分自身をよく観察して何が起きているのかを知ることです。自分の中で何が起きているのか、それを誘発したのは何なのかを知ることで、ある程度症状の出現を予防するための工夫はできるものだなというのが、このつらい更年期症状との付き合い方を日々試行錯誤する中での実感です。ごく単純なことですが、前述の症状を予防するためには、からだを冷やさないためにストールを持ち歩くとか、騒音対策のために耳栓を使うとか、そういう簡単な工夫が意外と効果的な場合もあるということです。

 ただ、ストレス因と症状のつながりがわかっても避けられないストレスもありますから、その場合はストレスコーピング(ストレス対処法)を使います。身体面でいえば、たとえば「からだをほぐすためにストレッチやヨガをする」とか、「リラックスできる音楽を聴きながら楽な姿勢でゆっくり座ってみる」とか、心理面では、つらいなと感じるときには、前もって企画しておいた「楽しみになるような予定の詳細をイメージしてみる」とか。

 つまり更年期をうまく乗り切るには、ストレス因を知って予防すること。そのストレスが避けられない場合には、ストレスが高まり過ぎたり持続しすぎないようにコントロールすること。そういったストレスマネジメントのスキルが欠かせません。自分の特性をよく探り、対処しましょう。
posted by MSCOスタッフ at 12:41| セルフメンタルケアのコツ

2017年03月29日

自立の季節

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 最近耳にするラジオCMで、転勤族になった息子が家を出ることになったことを話す場面での父親との、面白いやり取りがありました。「俺は転勤族になるんだよ!」「そんな奴は出てイケー!」息子は「出て行ってやるよ!盆と正月とGW以外、帰ってこねーからなー!」聞いてるこちらが「ちゃんと帰ってくるんだ」と突っ込みたくなるオチ。家族の絆は結ばれています。お互い突き放すようなケンカ腰の物言いがそっくりな父親と息子。

 また、某マンガの1シーンですが、こんな自立もあります。駅のホームで心配そうな両親や家族に見送られる少女。心の中では、故郷の景色全部を軽々と肩にのせる巨人のような自分をイメージして電車に乗り込みます。心細さから逆に自分を大きくとらえ、同時に自分を育んでくれた環境と人とをどれだけ大事に思っているかが、読者に伝わります。

 「自立」を検索すると“自分以外のものの助けなしで、または支配を受けずに自分の力で物事をやっていくこと”とあります。子ども時代に育ててくれた人から離れて独り立ちしていくことです。

 人は感受性も柔らかく可塑性も高い子ども時代に親や近しい人からの影響をスポンジのように吸収し、粘土のように型どり、たたき台にしていきます。成長するにつれて、それらを咀嚼したり消化したりしながら、自分の身になじんだものとしていきます。そうして、親の影響を取り入れたり手放したりしながら自由に自分独自のものを作っていく過程があって、自立は進んでいきます。

 ただ、時に気付かないうちに親から取り入れた価値観や志向を咀嚼し消化しないまま、自分本来の感受性や志向とミックスさせずに無理に丸飲みしてしまっている場合があります。そうすると、自己否定の気持ちが芽生えてきます。自分で自分を認めることが難しくなってしまうのです。消化して自分のものにしたのか、親の複製になってしまったのかわからなくなってしまう場合もあります。これではいくら形だけ親から離れても自立ではありません。

 もし、自分を認められない感覚が身についてしまっているなら、いったん立ち止まって自分に向き合うことが大事です。親から取り入れたものを咀嚼し消化しないまま子ども時代のように丸飲みのままになっていないか、吟味することが必要です。そうすることで、親のものや子ども時代のものが自分の中に居座っていることに気付くことになるでしょう。

 それらが自己否定感を生み出すものとなっているなら、それを手放して今の自分自身を感じること、そして親をひとりの人として認めること。それが、自立の道を進むことを後押ししてくれることになるのではないかと思います。

 冒頭のラジオCMの父親とそっくりなケンカ腰の息子は、実家を出ることで父親と離れ自分の父親譲りのところに気付くことで、さらに自立が進むかもしれません。また、マンガの少女は肩にのせた故郷の景色を慈しみながらもこれから進む景色に目を向けていくことで、等身大の自分を認めていくことになるのかもしれません。

タグ:自立
posted by MSCOスタッフ at 22:29| 心理エッセイ

2017年02月13日

ストレスチェックをどう活用するか

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 ストレスチェックの制度が導入され1年を経過しました。カウンセリングの場でも「ストレスチェックを受けました」と結果を見せて下さるクライアントさんや、企業と提携してカウンセリングを請け負っている同僚の心理士が「ストレスチェックでストレスが高いと判定された社員の人とカウンセリングを行っている」という話を耳にすることも増えたように思います。

 会社によって、ストレスチェックのテストの結果をどのように企業として活用するのかは、とても難しい問題なのではないかと思います。それははかりしれないのでここでは、個人としてどう活用するのが望ましいかを考えてみたいと思います。

 実際ストレスチェックのおかげで、現在職場で困っていることが解決できたという話も聞きます。ある人は「企業と提携しているカウンセラーや職場の上司を通じて、人事も交えて配置転換などの建設的な問題解決がなされた」という話をされ、上手く活用できているなと感じます。

 ただ、会社の方向性・体制が時代とともに変化していく中での従業員のストレスや、個人個人の心の負担感はすぐ解決できるような問題ではないので長期的に取り組むことが必要になってくると考えます。企業内のカウンセラーや、ストレスチェックのフォローのために会社と一定期間提携している外部相談機関については、利用者も「何をしてくれるのだろう?」というような期待や不安で利用されるのだと思います。

 ストレスチェックにより相談を促された方は提携している外部相談機関のカウンセラーに、「自分の抱えているストレスは会社の上司に話をして問題解決できることなのか」、それとも「どうにもならないことなのだから個人のものの見方や考え方を変化させていった方がいいのか」などを試しに聞いてみるといいのではないかと思います。

 その他にも、「医療機関につながった方がいいのか」「法律家に相談した方がいいのか」などのすみわけもわかる場合もあるかもしれません。外部だからこそ、客観的に全体を見て何が最重要ポイントかがわかる場合も多々あります。

 このように最初は窓口的に活用するところから、「もう少し長期的に取り組んだ方が自分自身が楽になりそうだ」と感じられることがあるかもしれません。

 その場合、提携外部相談機関のカウンセラーでは回数や期間制限がある場合が多いので、長期的に相談できそうな場所を紹介してもらってもよいと思います。もしくは、費用は自己負担で同じカウンセラーで継続できる外部相談機関を探し、安定して相談できる人と場所を確保することも大事なのではないかと考えます。
posted by MSCOスタッフ at 21:04| セルフメンタルケアのコツ

2016年12月29日

感覚を大切に

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 子どもたちにドラマと造形のワークショップを行っている「所沢クリドラタウン」で、昨年に引き続き保護者の方たちと「子どもの育ち」についてのセミナーの機会をいただきました。今年は「感覚」をテーマにお話しいたしました。

 脳の発達にはさまざまな「感覚情報」が必要不可欠だということをご存知ですか。「感覚」と言うと、真っ先にイメージするのが「五感」。いわゆる「視覚」「聴覚」「嗅覚」「味覚」「触覚」です。これらの五感は、どこで何を感じているのか意識しやすく、「今感じている」ということも自覚しやすいと言われています。

 また、感覚の中には「無意識に使われている」ものもあります。「触覚」は、五感の中で他の4つに比べると本能に強く関わっている感覚で、無意識に反応する部分があります。触ったものの大きさや形、素材を判断するときに知的に情報処理を行う(識別系)のほかに、自分に触れたものに対して「エサだ!つかまえるぞ!」もしくは「敵だ!逃げなければ!」というように「本能的に」感じ取って反応するところ(原始系)があります。
 そして、その他に「無意識に使われている感覚」として、「平衡感覚(前庭覚)」と「固有覚」があります。

 平衡感覚(前庭覚)は揺れや回転重力感を感知する感覚のことです。体勢が崩れたり、転んだりしないように、バランスをとるのが主な働きです。眼球運動とも関係しています。クルクル回転した後に目が回るのも、実はこの感覚が大きく関係しています。また、平衡感覚(前庭覚)は自律神経とも関わりがあり、情動の変化にも影響を与えています。

 固有覚は、筋肉や関節の動きを感知する感覚のことです。目を閉じて、上に向けた手のひらの上に1冊本を置いたときと、5冊本を置いたときと、冊数の違いがわかるのは、重さの違いを認識する感覚があるからです。この重さの違いを感じ取るセンサーこそ、固有覚なのです。

 体を動かす遊びや、料理や創作などの活動は、いろいろな感覚を使う機会を与えてくれます。知識として知っていたとしても、実際にやってみないとわからない「実感」というものがあります。 わかったつもりにならず、今、目の前にあるものをそのまま感じることに大きな意味があると思います。
 例えば料理。ジャガイモ一つとっても、実際に見て、触って、においをかいでみなければわからない、ジャガイモの実感があると思います。いろいろな形があることを知り、肌触りを知り、畑からとれたばかりの土のにおいを知るでしょう。手に取ってみて重さを感じることもあるでしょう。茹でているときにもうもうと上がる湯気の熱さに驚きながら、やけどをしないように気をつけることを学ぶでしょう。体験してみて、自分の中のどんな感覚が動いたのか、感覚によって生じた自分の中のさまざまな気持ちの動きや考えを大事にしてほしいと思うのです。

 「知識」それ自体はとても大切なのですが、ときに知識があるすぎるせいで、体験から遠ざかってしまう可能性もあるのではないかと思います。体験から遠ざかると、感覚がそぎ落とされてしまうのです。たまには知識はわきにおいて、自分の体験に没頭してみるのも悪くないものです。
 自分が体験した感覚には「正解」も「不正解」もありません。どれも「本物」です。その本物の感覚を大切にしていけるとよいと思うのです。子どもだけでなく、子どもと一緒に体験する大人も、感覚を大切にし、体験に心を開いてみてください。大人が楽しそうにしていると、子どもも安心して楽しむことができるのですから。

 感覚がうまく統合できず、日常生活に差しさわりが生じている場合は、より専門的な支援として「感覚統合療法」というものもあります。アメリカの作業療法士エアーズが考案した療法です。感覚統合療法では、子どもが「楽しい」と思える活動が取り入れられています。作業療法士が、感覚入力を整理し、子ども自身がいろいろなことに気づいたり、適切に体を対応させていけるよう、工夫して関わっていきます。
posted by MSCOスタッフ at 22:34| オフィス外での活動

2016年11月28日

コミュニケーションは難しい!

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 私はいくつかの企業でカウンセラーとして勤務しています。研修やグループ懇談で、よくでる質問の一つが、上司、部下、同僚とどうコミュニケーションをとればいいかわからないということです。特に最近では、上司が部下に対して、また異性の相手に対してどのような発言がハラスメントになるのかという質問が多くあります。
 その際、伝え方や聴き方のコツをお伝えしますが、その前提として皆さんと共有したいこととしてお話しするのが、「コミュニケーションは難しい」ということです。

 コミュニケーションは「送り手と受け手と言語的・非言語的なメッセージを用いて、やり取りとして共有すること」で、送り手と受け手から成り立ちますが、送り手の発言は送り手が持っている価値観や経験から発せられ、また送り手のその時の声の調子や抑揚など態度やしぐさも加わって、受け手に伝わります。
 一方受け手は、受け手が持つ過去の体験や価値観、今おかれている状況によって、受け取り方が変わります。正確に相手に伝えること。相手の発言を理解するということは、基本的には難しく、『コミュニケーション』とはそこで生じるズレや誤解を調整することと言われています。 (参照:「自己カウンセリングとアサーションのすすめ」金子書房2000)

 こんな例がありました。Aさんは普段とても真面目にきちんと業務をこなすタイプの人です。上司はAさんにある業務を依頼しましたが、他の業務も重なって忙しい状況を気遣い「君に負担をかけているね」と伝えました。
 この時Aさんは「また自分ばかりに責任をおしつけられている」というマイナスな思考が浮かびました。過去に別の上司に多くの業務を依頼され負担が大きいのにもかかわらず「大変だ」という状況を伝えられなかった体験がありました。その苦しい過去の経験が反射的によみがえってしまったのです。
 しかし、少し冷静になりAさんは現在の上司の人柄や状況をあわせて考え、今回は“仕事の押しつけ”ではなく、“気遣いつつ依頼してくれた”と思考を変えることができ、その仕事に前向きに取り組むことができました。

 「やりとり時の背景やそれぞれ価値観が違うなんて当たり前!」そのように理解していたとしても、自分に負担がかかっている時などは、目の前にいる相手とは違う他者や、自分の価値観が重なって、メッセージを異なって受けてしまうことが起こります。本来ズレを調整してお互いを理解していくには、やり取りの繰り返しが必要ですが、現代は各々が多忙で、メールやSNS上のやりとりが中心となり、相手を理解しきれないまま負担を抱えていることが多いように感じます。
 そういう今だからこそ、コミュニケーションは基本難しいということ、やりとりの繰り返しが必要であること。それを共有することは、相手と自分の関係をより冷静かつ客観的に捉えられることに繋がるということを深く理解してもらう為に、私も繰り返しお話をしています。
posted by MSCOスタッフ at 22:09| 心理エッセイ

2016年11月10日

マインドフルネスで「感覚」を取り戻す

マインドフルネス

 先日、知人が「面白いから読んでみて」といって『バカ田大学講義録なのだ!』(文藝春秋社2016)という本を貸してくれました。赤塚不二夫の生誕80年企画として東京大学で開講された「バカ田大学」の講義内容を一冊の本にまとめたものです。
 各方面で活躍している方々が、様々な切り口で赤塚スピリットを語っていて、どの講義もとても面白いのですが、中でも養老孟司さんの講義内容は心理士として非常に興味深いものでした。

 「バカと天才の壁」というテーマの講義の中で、養老さんは、動物と人間の違いを「感覚」と「意識」という切り口で説明しています。
 動物のように「感覚」に依存して生きている生物は、「違い」の上で生きており、たとえば、教室に大勢の人がいると色いろな「違い」を感じてしまい怖くて逃げ出すだろうというのです。
 「意識」に依存して生きている人間は、違うものを「同じ」にする能力(「概念化」する力)を使い、知らない者同士とはいえ、そこにいるのはみんな同じ人間なので、受講者はみな「だいたいこの範囲におさまる行動をとるだろう」と想定し安心するわけです。
 しかし、「意識」ばかりを使っていると、「感覚」による「違い」がわかからなくなり世界は”ぐるぐる回し”になって出口が見えなくなってしまうのだそうです。

 養老さんの講義の結論は「感覚の復権」「感覚を取り戻そう」ということでした。最近、心理学の世界では、「マインドフルネス」という心理療法が注目されていますが、それはまさに養老さんのおっしゃる「感覚の復権」を目指すものではないかと膝を打つ思いがしました。注目を集めているのが、心理の世界だけなくビジネス界でも、というのが面白いところであり、また納得させられるところでもあります。現代に生きる誰もが、肥大化した意識に圧迫されて息苦しい思いをしているのではないでしょうか。

 私は、マインドフルネスの技法のひとつである「ボディスキャン」を自分のカウンセリングの中に取り入れているのですが(仰臥位ではないので厳密には技法とは違うのですが)、身体の「感覚」ひとつひとつに注目してみると、いかに私たちの感覚が多様で、また頼りないものであるかがよくわかります。養老さんが、「意識は増幅装置だ」という言い方をしていますが、私たちは、音や匂い、痛みや痒みなど、いろいろなものが入り混じった状態である生の「感覚」をそのまま感じるということが苦手で、「意識」を使うことでその混沌とした「感覚」の一部を増幅し自分の中に収めやすいように意味のあるものとして整理しようとするようです。

 「感じる」ということは、今この瞬間の自分自身の状態に気づくということです。「感じて気づくこと」が、実は気持ちを楽にし、大きな安心感を得ることにつながるのです。マインドフルネスでは、自分の呼吸に注目する瞑想や歩行瞑想、食べる瞑想、ボディスキャンなどを通じて、「今この瞬間の感覚」をそのまま感じることを目指します。不安感が起きたり否定的な考え方が浮かんでも、それをなくそうとすることはしません。養老さんの言葉を借りれば、意識で増幅せずあるがままを受け入れるということです。あるがままに「感じて気づくこと」で問題解決の糸口が見えてくることもあります。頭で考えずに「感覚」を通してしっかりと自分を感じることで得られる心の変化をカウンセリングの中で確かめてみてはどうでしょうか?
posted by MSCOスタッフ at 14:15| マインドフルネス

2016年09月28日

カウンセリングと薬物療法の幸せな関係

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 一般にカウンセリングでは、クライエントはカウンセラーの力を借りながら自己の内面を探索し、変化のきっかけをつかんでいきます。クライエントはカウンセリングを通して「変わること」「成長すること」を実現していくものです。私は精神科医ですが、単に病気の治療を、それも対症療法にとどまるだけの薬物療法を行うことにあきたらなくなり、カウンセリングの世界に入ってきました。そんな私ですが、精神科医としては、時にはかなり積極的かつ大胆に、薬物療法の力を借りることがあります。それは、例えば以下のような場合です。

 不安という現象を考えてみましょう。人は、心理的な安全が脅かされたり見通しがきかない不確かな状況に置かれると不安になります。カウンセリングであれば、不安を抱かせる状況を整理し、過去の体験に影響された思い込み(認知)を探り、「何を恐れているのか」(不安の意味)を理解した上で、不安を克服することにつながる具体的な行動について、カウンセラーとクライエントが共に考えていく、という過程を経て回復・治癒が生じます。これらは、いわば「こころ」のプロセスです。
 しかし不安が生じるとき、多くの場合「からだ」にも症状が現れます。交感神経が過剰に興奮して動悸や過呼吸が生じたり、場合によってはドーパミン系やセロトニン系の神経回路が連動して複雑に作動し「逃避反応」を起こさせたりします。このような現象は、いわば「からだ」の一部である脳が勝手に起こすもので、意志の力で制御することは難しいものです。
 前述のような「からだ」の反応が生じているときが、薬物療法の出番なのです。薬は神経系の偏った興奮を鎮め、クライエントが自分の力で困難を克服し変化をつかむことの、手助けをしてくれます。薬で人が変わることはありませんが、変化のきっかけを探している人にとっては、薬は背中を押してくれる存在になるものです。

 こんな例もあります。不登校に陥っている中・高校生から、「朝になると身体が言うことを聞かず、動けない」という訴えを聞くことがあります。以前ならそれは「やる気の問題」とされ、「本当は行きたくないのだ」(すなわち「こころ」の問題)という解釈を下されがちでした。しかし、不登校に陥っている少なからぬ人が、体質的に朝が極めて苦手、ということを私は経験的に知っています。それに対して、ある種の抗うつ薬や、注意欠陥多動症に使われる薬物を少量投与することで、状態が劇的に改善することがあるのです。「からだ」が楽に動くようになればしめたものです。薬を服用しながら「こころ」のハードルを健気に乗り越え学校に復帰した中高生を、私は何人も見てきました。

 その関係がよくわかっているカウンセラーは、薬が必要と判断されると、タイミングを慎重に見計らって、私が勤めるクリニックにクライエントを紹介してきます。その場合、薬物療法の目的が明確で、医者としては極めて治療がやりやすいと感じます。私自身、5分診療では患者さんに伝えたいことが十分伝えきれずもどかしい思いを抱くことが多々ありますが、信頼できる臨床心理士にカウンセリングを受けている方なら、私は安心して薬物療法に徹することができます
 「こころ」と「からだ」が手を携えて健康に向かう、私はそのお手伝いをしたいと願っています。
タグ:薬物療法
posted by MSCOスタッフ at 11:01| ドクターから