2019年03月02日

「本来の自分」を取り戻す ─夢のはなし─

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 こんな夢をみました。
『何かの行列に並んでいる。「気取った女性」が何か言うと、近くにいた「遠慮のない女性」が叱るように言い返して、「気取った女性」の「バッグ」を捨ててしまう。「気取った女性」はしりもちをつくが、いつのまにか2人は他の人たちとワイワイと話しながら遊びに行く。』
 2人の女性は実在しない女性ですが、「気取った女性」も「遠慮のない女性」も、私の中にいる「自分」なのでしょう。「バッグ」は母親との思い出のある店で買ったモノでした。「バッグ」を持った「気取った女性」は、母親から取り入れたやり方を身につけて社会でやっていくのに大人の顔を作っているように見えました。また、「遠慮のない女性」は、荒っぽくも思えるけれどどこか自然体でむしろ親しみが感じられました。
 
 日々の現実の中で、私たち大人は「本来の自分」をいつのまにか心のどこかに押し込め、なかなか見いだせない状態にあることがあります。そうした状態が続いて自分をないがしろにしていると、自分自身がわからなくなって、その場の空気や周囲に合わせて動くだけの、作り物のようになってしまうこともあります。そんな時、私たちは「本来の自分」を取り戻して、自由に歩いていきたいと望むのだと思います。
 ただ、「本来の自分」を取り戻すというのは、今の自分を否定してどこかに「真実の自分」を発見する、というようなこととは少し異なるイメージかなと思います。

 精神分析家のサールズは、無意識に住んでいる様々な自分を「内なる自己たち」と呼んでいます。それぞれの自分に気付くこと、それぞれの自分に意識を向け受容すること。それが心の問題を回復させることにつながると語っています。
 日々を過ごす「今の自分」の中に住んでいる「○○な自分」に出会って、つきあっていく。対話する。そうするうちに、「○○な自分」が別な顔を見せ、殻を脱ぐように「本来の自分」として姿を現してくるような変化なのではないかと思います。

 私たちは、「○○な自分」の部分を好きになれなかったり、気付いていなかったりもします。それは、元々の個性や、家族や親から取り入れたモノ、必要な役割などで出来ている「自分」もいれば、「自分を守る自分」「周囲の期待に合わせて作った自分」など、いつの間にか形作ってきたり、現実をサバイバルする中で自然と生まれてきたりする「自分」達だからです。

 さきほどの夢をみるまでの私は、いつのまにか母親から取り入れたモノばかりを「自分」だと思っていたようでした。けれど、夢の中で「気取った自分」は、「遠慮のない自分」に率直に関わり、「バック」を手放すことを味わいました。
 母親から取り入れたモノが蓋をしていたけれど、それを手放すことで様々な「○○な自分」が顔を出して来たように感じています。そうした中から、いずれ「本来の自分」が現れる可能性を伝えてくれる夢だったように思います。
posted by MSCOスタッフ at 12:46| 心理エッセイ