2018年09月05日

人と自分を比べてしまうことについて

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 人と自分を比べてしまうことは誰にでもあることです。比べたくない、比べてもしかたがないと思いながらもつい誰かと自分を比べて落ち込んでしまうことはないでしょうか。今日は、カウンセリングの中で語られる「人と比べること」について書いてみたいと思います。

 「私は些細なことでも気にしてしまうのに、みんなは気にしていないように見える」「みんなは私よりたいへんなのに頑張っている」とおっしゃる方がよくいます。この中で比べられているのは、他者と自分の「感じ方」です。「感じ方は人それぞれだ」とはよく言われることですが、私たちは頭ではそう理解をしているのに、比べられないものを比べようとしてしまうところがあるようです。

 人それぞれに違う「感じ方」「受け取り方」のことを「内的現実」あるいは「主観」といいます。同じ出来事を経験しても直面している現実は人それぞれに違うということです。
 たとえば、上司から「期待してるよ」と声をかけられたとき、Aさんは「評価されてうれしい。もっと頑張ろう」と思うかもしれませんが、Bさんは逆に「プレッシャーだなあ。気が重いなあ」と思うかもしれません。

 Aさんのように肯定的に受け止められているときにはあまり気にならないかもしれませんが、Bさんのように否定的な受け止め方をしているとき、他の同僚たちが「上司から期待していると言われてやる気が出た」と話しているのを聞いたらどうでしょうか。Bさんは、同僚と自分を比べて「自分は人よりマイナス思考だ。なんでも否定的に考えるから駄目なのだ」と思ってしまうかもしれません。

 人と自分を「比べること」は、こんなふうに自分が人と違って見えたときに発動する思考ではないかと思います。でも、肯定的な受け止め方が出来る背景には、日常の上司との関係性もあるでしょうし、抱えている仕事量が多くて疲弊している状態にあれば「期待しているよ」という上司の声かけを肯定的に受け取ることができないのは当然のことです。

 比べるための変数が多過ぎて実際は比べようがないのに人と比べたくなってしまうのは、私たちがいつも「正解」を求めてしまうからではないかと思います。前述のBさんが「なんでも否定的に考えるから駄目だ」と思ってしまう背景には、「なんでもポジティブ志向が良い」とする世間の価値観をBさんが自身の中に取り込んで「正解」だと思い込み、そういうあり方のできない自分に劣等感や不全感を抱いているということではないかと思います。私たちの中に、「多数派」の意見と違うことに不安を感じる傾向があるということもあるでしょう(実際、その見方、考え方が「多数派」なのかどうかも比べようがなくわからないことなのですが)。

 でも、もし「正解」を求めるとすれば、内的現実は人それぞれで違うのですから「正解」も自分自身の中にしかないということにはならないでしょうか。そして、「正解」はひとつではなくいくつもあるものだろうと思います。

 カウンセリングの中で、皆さんは「自分にとっての正解」を見つけていきます。少し時間がかかるかもしれませんし形にはならない内的な作業ですが、山道を登って下るような「乗り越えた感じ」は得られるのではないかと思っています。
タグ:正解
posted by MSCOスタッフ at 19:20| 心理エッセイ