2019年09月07日

メンタライジング能力を養い、相手の気持ちや考えを想像する

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 私はスクールカウンセラーとして小学校に勤務していて、いじめの相談に出会うことも少なくありません。

スクールカウンセラーとしてかかわる場合、「いじめられた子ども」の心のケアに当たることが多いのですが、「いじめた子」との面接を教員とチームを組んで行うことも増えてきました。いじめが生じる背景にはいろいろな要因が考えられます。規範意識の薄さ。衝動コントロールの問題。アンガーマネジメントやストレスマネジメントの課題。同調圧力によるストレス。などなど。

 いじめをしたという子たちの話を聞くようになって、最近感じるようになったことは、むしろ彼らの「規範意識の強さ」です。ルールから外れること、みんなと違うことを行うことへの懲罰意識です。「悪いことをしている人は注意しなければならない」という彼らの考えは正しいのですが、伝え方が「攻撃的」なのです。1人が始めた注意がだんだん周囲に広がって、みんなで1人を注意するようになり、言い方が強くなり、時に手を出して無理やりでも言い聞かせようとし、「守れないなら輪に入れない」となり、陰でその子の良くないところを言って触れ回るようになり、避けるようになり…。
もうこれ、いじめですよね。
 
 ここまで極端ではなくても、「正しさ」を伝えることが相手の心を傷つけてしまっている可能性はいろいろな関係性で起こりうることです。
 「正しさ」はとても大切なのですが、正論を突きつけることは「あなたは間違っています」というメッセージを伝えていることにもなります。「間違っている」と言われた相手は傷ついますし、心を閉ざしてしまいます。
 
 正論を相手に突きつけてしまうとき、相手の気持ちや考えを想像するということが難しくなっています。「自分が絶対に正しい」という強い思い込みに支配されています。しかし実際には、何を正しいと考えるかは人によって異なるのです。立場や役割、関係性によっても変わってきます。
 
 私たちはともすれば、他の人も自分と同じ視点や認識で物事をとらえている、という前提で考えたり行動したりしてしまいます。反対に、他の人が何を感じ、考えているか、異なる複数の見方を思い浮かべる場合には想像するという努力が必要なのです。
 
 ストレス発散で他者を攻撃しているときも、相手に対するネガティブな感情をそのままぶつけているときも、自分の正しさを絶対視して相手に突きつけているときも、実は他の人の異なる視点を考慮するというプロセスが抜けています。
 自分や他者の行動の背景となる精神状態(感情、欲求、意図、目的、理由など)に関心を向けることを「メンタライジング」と呼びます。心で心を思う機能のことです。
 メンタライジングは主に、精神療法的治療の場で用いられる概念ですが、日常生活の中でごく自然に行われている営みでもあります。
「自分がこう言ったら相手はどう感じるだろうか」
「自分はこれが正しいと考えるが相手はどうだろうか」
「私は〇〇ができるが、なぜこの人はできないのだろう」
「別に必要じゃないのになぜか買い物が止められない。どうしてだろうか」
こうした問いに関心を持ち、考えつづけること。必要に応じて表現し、行動していくこと。それらの営みを支えるのは「メンタライジング」の働きです。
 
 最初に述べたいじめの例では、注意をしようという子どもたちの「メンタライジング」が機能していないのです。「自分(たち)が絶対に正しい」という思い込みに縛られ、相手のことがどう感じているか、何を考えているかという視点を持つことが難しくなっているのです。
 
 「メンタライジング」はさまざまな領域で注目されはじめています。子育て支援の分野では、養育者のメンタライジング能力を養うためのワークショップやグループでの活動が始まっています。教育現場でも、教員向けに研修が始まっている地域があります。また、海外では小学生を対象にしたいじめや攻撃的な言動を削減するためのプログラムの中でメンタライジングを促進させるための研究が行われています。日本で取り入れられる日も近いと思います。
タグ:いじめ
posted by MSCOスタッフ at 11:25| 心理エッセイ