2019年02月06日

「慣れ」について

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 <英語の want も「欠乏」という意味であり、漢字の「欲」も「谷のように引っ込んでいて欠けている」という意味であって、「欲望」とは何らかの規範に照らして自分に欠けているものを欲することである。そして、その規範とは一種の幻想であって、個人の内側に実体的裏付けのあるものではない。>(岸田秀『続 ものぐさ精神分析』中公文庫 p.88)

 宝くじで一千万円以上の大当たりをすると、当選金と同時に銀行から『【その日】から読む本』というパンフレットを渡されるそうです。そのパンフレットを調べてみると、「お金の使い道を考えよう」という項目に、「当せん金は、当面使うお金と残すお金に分ける」、「ローンや借金の返済を優先する」、「残ったお金でしたいことを考え、その重要度を判断する」、「決めた使い道を、後で見なおす機会をもうける」と書かれてあります。

 莫大な報酬を貰う運動選手が、引退後、むしろ借金を抱えてしまうこともあると聞きます。当然、必ずそうなる、ということではありません。しかし、宝くじ当選者に『【その日】から読む本』を渡すということから考えても、ある意味では「身の丈に合っていない金額」を「急激に」身につけると、その金を手にする前よりももっと貧困になる場合がある、ということなのかもしれません。

 しかし、急激に莫大なお金を手にしたとして、そこで何が起こっているのでしょうか。私には「慣れ」の問題があるように思えるのです。

 たとえば、毎朝缶コーヒーを買うことに慣れてしまったとします。たった120円ではありますが、積み重なれば、月に3,000円以上です。毎朝に加えて、帰宅途中にも缶コーヒーを買ったとしましょう。こうすると、合わせて月に6,000円以上になります。

 おそらく、このようなものは一週間で「慣れて」しまうのではないかと思います。慣れてしまうと、朝、缶コーヒーを飲まなければ、何か物足りなくなってしまうのではないでしょうか。最初は缶コーヒーを飲むことで何かが満たされたのかもしれませんが、それが常態化すると、缶コーヒーを飲まないことが「欠けたこと」に変化してしまいます。

 大金を手にして、ほんのちょっとの贅沢をし、これに慣れてもう少し贅沢をし、と続けていくと、その加算された贅沢は、ものの一週間で習慣化してしまう、ということなのかもしれません。あるいは、最初に一気に莫大な贅沢をしてしまえば、その水準より下げることは「欠けたこと」になってしまい、大きな贅沢を繰り返すよりほかなくなってしまうのかもしれません。最初は贅沢によって満たされたものも、いずれ、それらの贅沢ができないことが「欠けたこと」になってしまうのでしょう。

 おそらく人間は、「欠けたこと」には耐え難くなってしまうものなのだと思います。しかし、その「欠けたこと」であっても、さすがに一週間とはいいませんが、ある程度の日数で慣れてしまうものでもあります。毎日天ぷらそばを食べていた人が、毎日たぬきそばを食べることに変えても、最初は「欠けたこと」としてきついかもしれませんが、おそらく、一ヶ月ぐらいで慣れてしまうのではないかと思います。

 慣れは恐ろしいですが、慣れは救いでもあると、私は思っております。悩みがもし、「生き方の生活習慣」にあるとするならば、「人間は、欠けていることに慣れることもできる」ということを思い出しても良いかもしれない、と思うことがありました。
posted by MSCOスタッフ at 11:58| 心理エッセイ