2016年09月28日

カウンセリングと薬物療法の幸せな関係

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 一般にカウンセリングでは、クライエントはカウンセラーの力を借りながら自己の内面を探索し、変化のきっかけをつかんでいきます。クライエントはカウンセリングを通して「変わること」「成長すること」を実現していくものです。私は精神科医ですが、単に病気の治療を、それも対症療法にとどまるだけの薬物療法を行うことにあきたらなくなり、カウンセリングの世界に入ってきました。そんな私ですが、精神科医としては、時にはかなり積極的かつ大胆に、薬物療法の力を借りることがあります。それは、例えば以下のような場合です。

 不安という現象を考えてみましょう。人は、心理的な安全が脅かされたり見通しがきかない不確かな状況に置かれると不安になります。カウンセリングであれば、不安を抱かせる状況を整理し、過去の体験に影響された思い込み(認知)を探り、「何を恐れているのか」(不安の意味)を理解した上で、不安を克服することにつながる具体的な行動について、カウンセラーとクライエントが共に考えていく、という過程を経て回復・治癒が生じます。これらは、いわば「こころ」のプロセスです。
 しかし不安が生じるとき、多くの場合「からだ」にも症状が現れます。交感神経が過剰に興奮して動悸や過呼吸が生じたり、場合によってはドーパミン系やセロトニン系の神経回路が連動して複雑に作動し「逃避反応」を起こさせたりします。このような現象は、いわば「からだ」の一部である脳が勝手に起こすもので、意志の力で制御することは難しいものです。
 前述のような「からだ」の反応が生じているときが、薬物療法の出番なのです。薬は神経系の偏った興奮を鎮め、クライエントが自分の力で困難を克服し変化をつかむことの、手助けをしてくれます。薬で人が変わることはありませんが、変化のきっかけを探している人にとっては、薬は背中を押してくれる存在になるものです。

 こんな例もあります。不登校に陥っている中・高校生から、「朝になると身体が言うことを聞かず、動けない」という訴えを聞くことがあります。以前ならそれは「やる気の問題」とされ、「本当は行きたくないのだ」(すなわち「こころ」の問題)という解釈を下されがちでした。しかし、不登校に陥っている少なからぬ人が、体質的に朝が極めて苦手、ということを私は経験的に知っています。それに対して、ある種の抗うつ薬や、注意欠陥多動症に使われる薬物を少量投与することで、状態が劇的に改善することがあるのです。「からだ」が楽に動くようになればしめたものです。薬を服用しながら「こころ」のハードルを健気に乗り越え学校に復帰した中高生を、私は何人も見てきました。

 その関係がよくわかっているカウンセラーは、薬が必要と判断されると、タイミングを慎重に見計らって、私が勤めるクリニックにクライエントを紹介してきます。その場合、薬物療法の目的が明確で、医者としては極めて治療がやりやすいと感じます。私自身、5分診療では患者さんに伝えたいことが十分伝えきれずもどかしい思いを抱くことが多々ありますが、信頼できる臨床心理士にカウンセリングを受けている方なら、私は安心して薬物療法に徹することができます
 「こころ」と「からだ」が手を携えて健康に向かう、私はそのお手伝いをしたいと願っています。
タグ:薬物療法
posted by MSCOスタッフ at 11:01| ドクターから