2019年03月02日

「本来の自分」を取り戻す ─夢のはなし─

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 こんな夢をみました。
『何かの行列に並んでいる。「気取った女性」が何か言うと、近くにいた「遠慮のない女性」が叱るように言い返して、「気取った女性」の「バッグ」を捨ててしまう。「気取った女性」はしりもちをつくが、いつのまにか2人は他の人たちとワイワイと話しながら遊びに行く。』
 2人の女性は実在しない女性ですが、「気取った女性」も「遠慮のない女性」も、私の中にいる「自分」なのでしょう。「バッグ」は母親との思い出のある店で買ったモノでした。「バッグ」を持った「気取った女性」は、母親から取り入れたやり方を身につけて社会でやっていくのに大人の顔を作っているように見えました。また、「遠慮のない女性」は、荒っぽくも思えるけれどどこか自然体でむしろ親しみが感じられました。
 
 日々の現実の中で、私たち大人は「本来の自分」をいつのまにか心のどこかに押し込め、なかなか見いだせない状態にあることがあります。そうした状態が続いて自分をないがしろにしていると、自分自身がわからなくなって、その場の空気や周囲に合わせて動くだけの、作り物のようになってしまうこともあります。そんな時、私たちは「本来の自分」を取り戻して、自由に歩いていきたいと望むのだと思います。
 ただ、「本来の自分」を取り戻すというのは、今の自分を否定してどこかに「真実の自分」を発見する、というようなこととは少し異なるイメージかなと思います。

 精神分析家のサールズは、無意識に住んでいる様々な自分を「内なる自己たち」と呼んでいます。それぞれの自分に気付くこと、それぞれの自分に意識を向け受容すること。それが心の問題を回復させることにつながると語っています。
 日々を過ごす「今の自分」の中に住んでいる「○○な自分」に出会って、つきあっていく。対話する。そうするうちに、「○○な自分」が別な顔を見せ、殻を脱ぐように「本来の自分」として姿を現してくるような変化なのではないかと思います。

 私たちは、「○○な自分」の部分を好きになれなかったり、気付いていなかったりもします。それは、元々の個性や、家族や親から取り入れたモノ、必要な役割などで出来ている「自分」もいれば、「自分を守る自分」「周囲の期待に合わせて作った自分」など、いつの間にか形作ってきたり、現実をサバイバルする中で自然と生まれてきたりする「自分」達だからです。

 さきほどの夢をみるまでの私は、いつのまにか母親から取り入れたモノばかりを「自分」だと思っていたようでした。けれど、夢の中で「気取った自分」は、「遠慮のない自分」に率直に関わり、「バック」を手放すことを味わいました。
 母親から取り入れたモノが蓋をしていたけれど、それを手放すことで様々な「○○な自分」が顔を出して来たように感じています。そうした中から、いずれ「本来の自分」が現れる可能性を伝えてくれる夢だったように思います。
posted by MSCOスタッフ at 12:46| 心理エッセイ

2019年02月06日

「慣れ」について

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 <英語の want も「欠乏」という意味であり、漢字の「欲」も「谷のように引っ込んでいて欠けている」という意味であって、「欲望」とは何らかの規範に照らして自分に欠けているものを欲することである。そして、その規範とは一種の幻想であって、個人の内側に実体的裏付けのあるものではない。>(岸田秀『続 ものぐさ精神分析』中公文庫 p.88)

 宝くじで一千万円以上の大当たりをすると、当選金と同時に銀行から『【その日】から読む本』というパンフレットを渡されるそうです。そのパンフレットを調べてみると、「お金の使い道を考えよう」という項目に、「当せん金は、当面使うお金と残すお金に分ける」、「ローンや借金の返済を優先する」、「残ったお金でしたいことを考え、その重要度を判断する」、「決めた使い道を、後で見なおす機会をもうける」と書かれてあります。

 莫大な報酬を貰う運動選手が、引退後、むしろ借金を抱えてしまうこともあると聞きます。当然、必ずそうなる、ということではありません。しかし、宝くじ当選者に『【その日】から読む本』を渡すということから考えても、ある意味では「身の丈に合っていない金額」を「急激に」身につけると、その金を手にする前よりももっと貧困になる場合がある、ということなのかもしれません。

 しかし、急激に莫大なお金を手にしたとして、そこで何が起こっているのでしょうか。私には「慣れ」の問題があるように思えるのです。

 たとえば、毎朝缶コーヒーを買うことに慣れてしまったとします。たった120円ではありますが、積み重なれば、月に3,000円以上です。毎朝に加えて、帰宅途中にも缶コーヒーを買ったとしましょう。こうすると、合わせて月に6,000円以上になります。

 おそらく、このようなものは一週間で「慣れて」しまうのではないかと思います。慣れてしまうと、朝、缶コーヒーを飲まなければ、何か物足りなくなってしまうのではないでしょうか。最初は缶コーヒーを飲むことで何かが満たされたのかもしれませんが、それが常態化すると、缶コーヒーを飲まないことが「欠けたこと」に変化してしまいます。

 大金を手にして、ほんのちょっとの贅沢をし、これに慣れてもう少し贅沢をし、と続けていくと、その加算された贅沢は、ものの一週間で習慣化してしまう、ということなのかもしれません。あるいは、最初に一気に莫大な贅沢をしてしまえば、その水準より下げることは「欠けたこと」になってしまい、大きな贅沢を繰り返すよりほかなくなってしまうのかもしれません。最初は贅沢によって満たされたものも、いずれ、それらの贅沢ができないことが「欠けたこと」になってしまうのでしょう。

 おそらく人間は、「欠けたこと」には耐え難くなってしまうものなのだと思います。しかし、その「欠けたこと」であっても、さすがに一週間とはいいませんが、ある程度の日数で慣れてしまうものでもあります。毎日天ぷらそばを食べていた人が、毎日たぬきそばを食べることに変えても、最初は「欠けたこと」としてきついかもしれませんが、おそらく、一ヶ月ぐらいで慣れてしまうのではないかと思います。

 慣れは恐ろしいですが、慣れは救いでもあると、私は思っております。悩みがもし、「生き方の生活習慣」にあるとするならば、「人間は、欠けていることに慣れることもできる」ということを思い出しても良いかもしれない、と思うことがありました。
posted by MSCOスタッフ at 11:58| 心理エッセイ

2019年01月05日

職場での世代間ギャップにどう対応するか

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 いつの時代も世代間ギャップを感じることは少なくないのではないでしょうか。特に、色々な年代の人がいる職場は、世代間ギャップを感じやすいかもしれません。カウンセリングでも世代間ギャップによるコミュニケーションのとり方について話題になることがしばしばあります。どのように対応したら、スムーズなコミュニケーションがとれるのでしょうか。

 職場で特に問題となるのは、その世代間ギャップによる考え方、価値観の違いが、セクハラ、パワハラなどのハラスメントの内容にふれる場合です。

 例えば、40代後半〜50代前半のバブル世代と呼ばれるような人たちが上司だったとすると、残業もいとわず働いてきているため、定時に帰る後輩に対して、評価が悪くなる場合もあります。男女に対する価値観も、「男性はこうあるべき」、「女性は〜」という男女の性役割を重視する人も少なくないため、「やはりお茶は、女性がいれてくれた方がいいよね」と悪気なくセクハラともとれる発言をしてしまう人もいます。

 20代の人たちにとっては、上の世代の人たちとは、価値観を共有できないところもあるでしょう。コミュニケーションのやり方も、SNSを使った方法がスタンダードですし、あまり面と向かってやりとりをするという文化も慣れていない分、上司や年上の人を目の前にすると、非常に緊張していいたいことが言えなくなってしまうという話もよく耳にします。
 また、学生時代、親や先生に怒られることもなかったのに、上司が大声で他の人を叱責しているのを見て、「生まれて初めて見た光景…」とショックを受ける人もいるようです。

 それぞれの人格の特徴という側面も大事ですが、お互いが生きてきた時代が違う、という側面からも、理解を深め、対処を考えることができるのではないかと考えます。そのために、相手がどのような時代を生きてきたのかという背景を知るのは双方の助けになります。今は、ネットでも情報を集められるので、自分の職場の人たちがどのような時代を生きてきたか調べると、「ああ、だからこういう感じなのね」と納得できる部分も多いでしょう。

 たとえば、20代の人が直接上司に聞きにこないで、メールなどで聞いてくるからといって「礼儀がない!」と最初から怒らずに、「この人たちにとっては、それが当たり前の文化で育ったのだな」とまずは相手の事情を理解してみます。その上で、やはり直接聞きに来てもらった方が説明しやすいなと上司が思ったら、それを伝えてもいいのかもしれません。
 逆に、20代の人も、自分たち世代は直接的な方法をとらないできたが、上司は自分たちの感覚はわからないかもしれないので、直接相談した方が信頼関係を作れそうかなと考えてみるのもよいのではないでしょうか。

 また、上司が大きな声で怒鳴っていても、相手が育ってきた時代ではそれが普通だったのだろうな…と思うことで、怖さも少しおさまるかもしれません。しかし、度をこえた叱責は、もちろん理解してあげる必要はないので、それは、まわりの人にもどう感じるのか聞いてみるとよいでしょう。

 日本人同士ではない、外国の人たちと交流するときにも、相手の文化を学んで理解につなげるように、世代が異なっても相手の時代背景を知るというのは、よりよいコミュニケーションにつながるでしょう。自分が混乱して、嫌な思いをしないための防御策としても使ってみて下さい。
posted by MSCOスタッフ at 18:00| 心理エッセイ

2018年12月03日

内的世界と現実世界を結ぶ「中間領域」

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 学校高学年や中高生とカウンセリングをしていると、アニメや漫画、ゲームの話が出ることが少なくありません。大人やカウンセリングに抵抗や警戒の強い人たちが来談につながってもらうために、まずは本人にとって話しやすいアニメや漫画、ゲームの話から始めるということもあります。時には、自分で創作した漫画や物語について語ってもらうこともあります。
 
 ただ好きなもの、面白いものとして聞くだけでなく、その人の内面と共鳴するところがあるものとして話を聴いてくと、その人に対する理解が深まることが多いように思います。登場人物やストーリーが、その人の内面的な課題や葛藤を表していることがあるからだと思います。

 登場人物に深く思い入れがある場合、そのキャラクターがその人にとって「こうありたい」と思う理想の自分像であることや、憧れの対象を表していることもあります。まだ意識していない、自分の中に眠っている潜在的な要素を表していることもあるし、「傷ついている自己」のイメージであることもあります。そこには傷ついてきた自己の物語や自己形成の物語、癒しの物語が含まれているのです。
 
 こうした漫画や小説、ゲームが、実際に存在する作品であると同時に心の中を表すものでもあるということは、「外」であると同時に「内」のものでもあるということが言えます。


 小児科医で精神科医でもあったウィニコットは、「中間領域」という概念を使って内的世界と現実世界を結ぶ対象や遊びについて説明をしました。
 その中で、乳幼児が成長していく過程で、分離不安に耐えるために使用するぬいぐるみや毛布など、子どもにとって身近で愛着を持つものの存在を「移行対象」と呼びました。この移行対象は、現実に存在する、自分の不安を和らげてくれる対象(多くは母親)の代理として役割を果たします。

 これは、目の前に母親がいなくても、心の中に母親とのつながりを感じ(対象恒常性)、安心感が持てるようになるための橋渡しをしてくれます。つまり移行対象は、「現実世界」と「内的世界」を結ぶ、外と内の間に存在する「中間領域」としての機能を果たす、というのです。

 中間領域は、子どもの遊ぶことや芸術など文化的分野の中にも見ることができると考えられています。乳幼児期に限らず、「現実世界と「内的世界」の懸け橋である「中間領域」は、情緒の発達や安定に大きく寄与しているのです。


 また、「中間領域」は心理学の専売特許ではないようで、建築でも使われています。外と内の境界、たとえばマンションにおいてのパブリックからプライベートへと移行する空間のことを「中間領域」と言うのだそうです。ここを美しくデザインすることで、生活の豊かさ、精神的な安らぎが深まると考えられています。
 確かに、そうした空間は「必ずなくてはいけないもの」ではないのでしょう。しかしその「スペース」があることでゆとりが生まれたり、「外」から「内」、「内」から「外」への移行をスムーズにしてくれるのではないでしょうか。
 
 漫画や小説、ゲームも、そうした機能を持っているのかもしれません。心の傷つきが深いほど、その問題に向き合うことはとても怖く感じます。他者とかかわることに不安が強いほど、直接触れ合うことは恐ろしいのです。そのものを語るには生々しすぎる。感情が強く動きすぎる。そのようなときに、「内」と「外」、どちらの属性も持つ「物語」があることで、「スペース」が生まれ、安心して語れるようになるのかもしれません。
タグ:中間領域
posted by MSCOスタッフ at 18:24| 心理エッセイ

2018年11月01日

「相手に自分を投影させる」という現象について

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 恩田陸『蜜蜂と遠雷』という本を最近読みました。これは、世界各国の若者たちが競う国際的なピアノコンクールの何日間かの物語です。主人公は主に3人います。母の死をきっかけにステージを去った元天才少女、天才少女の幼馴染で、少女に見出されその後海外で才能を開花させた青年、そして父親の仕事で海外を渡り歩きながら、ピアノも持たずに、でも天性の耳の良さで有名なピアノ教授に人知れず育てられた少年。その他、彼女を支える友人、サラリーマンとして働きながら最後の夢としてコンクールに出た青年、コンクールの審査員などがからみながら、物語は展開していきます。

 この中で、父親の仕事で海外を渡り歩いた天性の耳の良さをもつ少年が、物語の核となっているのですが、この彼が、表舞台にいきなり出てきて、その独特の経歴から、これまでの常識を覆すようなピアノ演奏の世界を繰り広げ、聴く人々に畏怖や激しい感情の波を起こさせて、その人たちの成長や決断に影響を与えていく、というのが大まかなストーリーです。

 例えば、元天才少女は、ピアノ界に自分が戻れるかどうか自信がなかったのですが、少年の演奏をききながら、頭の中で少年が自分に語りかけてくるのを感じ、その対話から、自分がどんなに音で溢れた世界が好きで、楽しくて、音楽をこういうやり方で奏でたいと思っている、ということに気づいたり、音楽から背を向けた自分がいかに傲慢だったかということに気づいたりして、予選を進めるごとに確固たる姿勢で音楽と向き合う覚悟を決めていきます。少年が直接、元天才少女に話しかけたわけではありません。元天才少女が少年の演奏を聴きながら、頭の中で繰り広げたことです。

 物語では、周りの大人たちが一方的に、この元天才少女のように、さまざまな葛藤や見ないようにしていた自身の弱さを少年という鏡に映し出して、怒ったり、泣いたりします。この少年が自分が人に与える影響について全く無頓着で気づいていないために、「一方的に」というのが際立って見えるのがみそだと思うのです。

 このように、相手が意図しているわけではなく、自分が勝手に相手に自分を鏡のように映し出して、相手が自分にそのようにしているかのように感じる、ということは日々私たちが行っていることです。

 例えば、恋愛関係で、相手に自分の理想像を映し出して、その姿を見て相手を好きになる、とか、上司から嫌われていると思っていたけど、実は自分が上司を嫌っていてそれを相手に投影して相手が思っているかのように感じていた、とか。心理学用語で投影性同一視とよばれます。作者が意図したかはわかりませんが、この物語はそこに焦点をあてて話が展開していくように思われて、そこがおもしろいなと感じました。
posted by MSCOスタッフ at 23:50| 本や映像から

2018年10月08日

レジリエンス(Resilience)

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 私たちは日々様々なストレスを受けながら過ごしています。時にはそれによって心身の調子が崩れます。同じストレスを体験した全員が心身の調子が崩れるわけではなく、そこには個人差があります。その方が抱える他の状況の要因もありますし、サポートしてくれる人がいるかどうかによっても異なります。またストレス状況をどう捉えるかによっても異なります。

 ストレスに対する対応の個人差を明らかにする一つの心理学の用語として「レジリエンス(resilience)」があります。アメリカ心理学会(APA)は「レジリエンスは逆境、心的外傷体験、悲惨な出来事、驚異などの重大なストレスにうまく適応する過程のことである。重大なストレスの具体例として、家族をはじめとする人間関係の問題、重大な健康問題、職業や経済的なストレスなどが挙げられる。つまりレジリエンスとは、困難な体験からの『回復』を意味する」と定義しています。

 日本語では「精神的回復力」「復元力」「心の弾力性」等と訳されます。私たちの心身状態を『風船』に例えると、外からの圧力(ストレッサー)によって形が歪み、それが様々なストレス反応としてでますが、その元に戻る力に作用するものとして使われています。

 私たちがよくお受けする質問の一つに「どうしたらストレスに強くなるか」があります。現在のストレス社会の中でうまく対応していくには・・当然の疑問です。「ストレスに強い」というイメージで、多くの方が抱いているものとして、ストレスを撥ねのける強い精神力(ストレスをストレスとは感じない)のイメージがあるようです。

 しかしカウンセリングの場では、刺激を受けて、『風船』に歪みが生じていることはそのまま認め、それがしなやかに元に戻っていく過程が大事だということをお伝えしています。撥ねのけるというイメージですと、『風船』は固いものになっていきますが、それだと刺激によっては割れてしまうかもしれません。柔らかめで弾力がある方が対処しやすくなります。

 そのしなやかに戻る過程を、考え方のクセが妨げることもあります。
 例えば、育児休暇中のAさん、3人の子育てが生活の中心となり、自分がしたい家事が思うようにできずいつもイライラし、本来はこうではないのにどうしてイライラするのか、母親としてどうなのかと自分を責めていました。
 そこで、Aさんとの話し合いの中で、まず何故イライラしているのかを振り返っていきました。その中で「家事はきちんとした仕事ではあるが、子どもとの時間は遊び要素があり仕事ではない」といった考え方があり、きちんと家事ができないことは自分の役割をこなしていないように感じていたことがわかりました。
 子どもとの時間も家事同様の仕事であり、きちんと役割を果たしているという捉え方をすることで、イライラしにくく本来のAさんに戻っていきました。

 ストレスを受けないように刺激を避けたり、強くなければならないという捉え方ではなく、刺激を受けて調子のバランスが崩れたとしてもどう元に戻してていくかの過程も大切に考えていけるとよいのではと思います。
(参照 石垣琢磨(2017)レジリエンス−予防と健康規制のために−臨床心理学17-5 603-606)
タグ:ストレス
posted by MSCOスタッフ at 23:22| カウンセリング・キーワード

2018年09月05日

人と自分を比べてしまうことについて

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 人と自分を比べてしまうことは誰にでもあることです。比べたくない、比べてもしかたがないと思いながらもつい誰かと自分を比べて落ち込んでしまうことはないでしょうか。今日は、カウンセリングの中で語られる「人と比べること」について書いてみたいと思います。

 「私は些細なことでも気にしてしまうのに、みんなは気にしていないように見える」「みんなは私よりたいへんなのに頑張っている」とおっしゃる方がよくいます。この中で比べられているのは、他者と自分の「感じ方」です。「感じ方は人それぞれだ」とはよく言われることですが、私たちは頭ではそう理解をしているのに、比べられないものを比べようとしてしまうところがあるようです。

 人それぞれに違う「感じ方」「受け取り方」のことを「内的現実」あるいは「主観」といいます。同じ出来事を経験しても直面している現実は人それぞれに違うということです。
 たとえば、上司から「期待してるよ」と声をかけられたとき、Aさんは「評価されてうれしい。もっと頑張ろう」と思うかもしれませんが、Bさんは逆に「プレッシャーだなあ。気が重いなあ」と思うかもしれません。

 Aさんのように肯定的に受け止められているときにはあまり気にならないかもしれませんが、Bさんのように否定的な受け止め方をしているとき、他の同僚たちが「上司から期待していると言われてやる気が出た」と話しているのを聞いたらどうでしょうか。Bさんは、同僚と自分を比べて「自分は人よりマイナス思考だ。なんでも否定的に考えるから駄目なのだ」と思ってしまうかもしれません。

 人と自分を「比べること」は、こんなふうに自分が人と違って見えたときに発動する思考ではないかと思います。でも、肯定的な受け止め方が出来る背景には、日常の上司との関係性もあるでしょうし、抱えている仕事量が多くて疲弊している状態にあれば「期待しているよ」という上司の声かけを肯定的に受け取ることができないのは当然のことです。

 比べるための変数が多過ぎて実際は比べようがないのに人と比べたくなってしまうのは、私たちがいつも「正解」を求めてしまうからではないかと思います。前述のBさんが「なんでも否定的に考えるから駄目だ」と思ってしまう背景には、「なんでもポジティブ志向が良い」とする世間の価値観をBさんが自身の中に取り込んで「正解」だと思い込み、そういうあり方のできない自分に劣等感や不全感を抱いているということではないかと思います。私たちの中に、「多数派」の意見と違うことに不安を感じる傾向があるということもあるでしょう(実際、その見方、考え方が「多数派」なのかどうかも比べようがなくわからないことなのですが)。

 でも、もし「正解」を求めるとすれば、内的現実は人それぞれで違うのですから「正解」も自分自身の中にしかないということにはならないでしょうか。そして、「正解」はひとつではなくいくつもあるものだろうと思います。

 カウンセリングの中で、皆さんは「自分にとっての正解」を見つけていきます。少し時間がかかるかもしれませんし形にはならない内的な作業ですが、山道を登って下るような「乗り越えた感じ」は得られるのではないかと思っています。
タグ:正解
posted by MSCOスタッフ at 19:20| 心理エッセイ

2018年08月01日

プロセスワーク(Process Work)

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“なってみる”ことで発見できること
 イメージを大切にするカウンセリングの技法に「プロセスワーク」があります。ユング派の分析家アーノルド・ミンデルが創始し、個人のセラピーだけでなくカップルや家族のセラピー、組織開発などにも展開されています。

 プロセスワークでは、まずワークする個人のプロセス構造に注目します。
プロセス構造は、3つの部分で構成されています。
『1次プロセス』 自分のアイデンティティ。よく知っているなじみのある自分。
『2次プロセス』 なりたいけどなれていない自分像、逆に自分がしてはならないと思っていることや人。未知の自分。
『エッジ』 2次プロセスを阻んでいる価値観や考え、信念、…。

 これらを書き出してみるだけでも自己理解が多面的になるのを感じますが、『2次プロセス』に出てきた言葉を「〇〇のよう」「〇〇な感じ」などふくらませていくうちに出てくるイメージを増幅し、身体を使って“なってみる”ことをします。

 例を出して詳しく見ていきます。Aさんは30代の社会人女性。少し人付き合いに悩みがあります。
 彼女の『1次プロセス』は「社交的で明るい人、行動的」で、Aさんにとって嫌だと思うのは「受け身で内向的な人」です。これは、Aさんの中に潜在する『2次プロセス』と理解できます。そして「暗いと面倒くさいと思われる」という考えがあります。この考えが2次プロセスの自分を阻む『エッジ』になっているようです。

 Aさんは、2次プロセスの自分に“なってみる”と、「感受性の豊かな、モノゴトを深く考える自分」が表出してきました。さらに、その自分を細やかにゆっくり感じていくと、多くの感受性豊かな子どもが体験する、想像の世界を味わい表現する楽しさを思い出します。

 それを忘れさせていた『エッジ』に注目すると、想像性豊かな遊びの世界を「面倒くさい」と相手にしてもらえなかった子ども時代の悲しみから形作られたことに気づくことになりました。そして、『1次プロセス』の自分を特徴づけた「行動的」であることで得ようとしていたのは、人からの注目であったことが鮮明になりました。

 こんな風にして、Aさんは、忘れていた自分と再会しました。さらに、ネガティブに捉えていた「内向的な人」への感じ方が変化し、それまで「内向的な人」と思って苦手意識を持っていた人との関係が改善して、自然と親しみを感じられるようになっていきました。

 このように、プロセスワークを体験をすることで、気づき・発見することは多く、自分の中に未発見の豊かな鉱脈があることを実感できるようなプログラムです。
posted by MSCOスタッフ at 14:04| カウンセリング・キーワード

2018年07月01日

マインドフルネスのグループワーク実践報告 (セルフ・コンパッションのエクササイズ)

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 マインドフルネスのグループワークを実施しています。全4回のグループワークで1回120分(休憩、座学等を含む)となっています。参加者の皆さんとともにマインドフルネス実践を一緒に楽しみながらやらせて頂いています。

 レーズン・イーティング(レーズンをマインドフルに食べてみる)に始まり、呼吸瞑想ボディ・スキャン瞑想歩く瞑想などのおなじみのエクササイズから、心を静めるタッチ思いやりの瞑想など、ちょっと進んだ瞑想や最新のエクササイズも取り入れています。

 セッションでは参加者の皆さんも相互にディスカッションを深めることを大切にしています。最初は初対面の方ばかりでやや緊張の面持ちでしたが、回を重ねるにつれて参加者同士の人間関係も深まるのは興味深いところです。講師も参加者の皆さんとともに学ぶ“学び手”として、毎回楽しみにやらせて頂いています。

 このグループワークではマインドフルネスに加え、セルフ・コンパッションの実践・エクササイズも行っています。セルフ・コンパッションとは「自分への思いやり」などと訳され、自らへの優しさ、共通の人間性、マインドフルネスという3つの要素で構成される新たなセルフ・ケアの考え方です。マインドフルネスとはいわば親せきのようなもので、近年北米圏を中心に世界的に注目されています。

 セルフ・コンパッションが高まることで不安や抑うつが低下したり、幸福感が上がったりするなど、さまざまな効果が実証されています。最近ではトラウマ治療喪失体験後のグリーフケアなどにも効果があるといわれています。

 わが国では「セルフ・コンパッション―あるがままの自分を受け入れる」(クリスティーン・ネフ著、金剛出版)という訳書で知られるようになりましたが、相談機関で指導できるところは多くありません。最近になり、偶然にもネフの指導を直接受けることができました。こうしたこともあり、是非この素晴らしい考え方を皆さまとご一緒にシェアさせて頂ければと考え、グループワークでの実践に取り入れました。

 マインドフルネスは、日々の実践が大切です。こう書くと「なんかやるの、大変そうだなぁ」と思われるかもしれませんが、少人数のグループワークですので、参加者の皆さまの状況を個別に丁寧に拝見し、なるべく続けて実践して頂けるようにお手伝い致します。特にご自分でこれからの歩みをどうしていこうかと思案されている方にはセルフ・ケアの選択肢の1つになります。ご一緒に参加して、実践してみませんか?


 南新宿カウンセリングオフィスでは「マインドフルネスのグループワーク」を実施しています。
小グループ(4人)で基本的なマインドフルネスを体験してみる4回のコースです。概ね隔週で定期的に行っています。ご興味をもたれた方はご連絡ください。
posted by MSCOスタッフ at 11:35| マインドフルネス

2018年06月01日

会社との付き合い方

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 新年度が始まり、新しく社会人になった方もいれば、配置換えで新しい部署についた方もいらっしゃるのではないかと思います。今回は、会社との付き合い方で、気に留めておきたいことをお伝えします。

 会社に所属することで、やりがいのある仕事に出会えたり自分の新たな能力を発揮できたり・・・これは、会社や組織に所属することで得られるメリットです。

 会社には、組織の風土や体質があります。それは、組織外の人が見ると、少し違和感をおぼえる内容もあります。例えば、比較的個人を尊重してくれる組織もあれば、組織に追従することが絶対の組織もあります。ひとたび所属したら、その環境に、無理のない程度に適応していくことも大事ですが、最終的には、自分の身体、心が危険な目にあわないように、組織に依存しすぎることなく会社と付き合っていくことが大切になります。特に新入社員の方、まだ社会人経験の浅い方は、意識しておくとよいのではないかと考えます。

 というのも、カウンセリングでよくご相談にあがる仕事の悩みの中には、「高圧的な上司からこう言われて、せざるをえなかった」とか、「上から言われたこの仕事をしないと、自分のキャリアの道は絶たれてしまうのではないか」などの理由で、自分の身が怪我や病気等の危険にさらされても何か使命感を持って行ってしまう方が少なくないからです。真面目で組織に忠実なのは、働く上では大切なスキルでもあるのですが、度がすぎると危険です。実際にうつ病になってしまう人、大怪我をしてしまう人もいるからです。同じ会社の人たちは、同じ風土にいるので、おかしいことにも気づかず同様に危険な場合があります。

 そのような危険な状態に陥らないために、日頃から、家族、同じ会社ではない友人などと会社や仕事の話をしておくことで、危険なことが早めにわかったり、自分の会社を客観的な視点でみやすくなります。また外部機関のカウンセリングなどを利用して話してみることで、新たな視点に気づいたり、自分がマインドコントロールされている状態になっていないかなどを客観的にみてもらうこともできます。

 自分の所属している組織を、客観的に見ながら、ほどよい距離で付き合っていきましょう。
posted by MSCOスタッフ at 13:55| セルフメンタルケアのコツ