2018年11月01日

「相手に自分を投影させる」という現象について

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 恩田陸『蜜蜂と遠雷』という本を最近読みました。これは、世界各国の若者たちが競う国際的なピアノコンクールの何日間かの物語です。主人公は主に3人います。母の死をきっかけにステージを去った元天才少女、天才少女の幼馴染で、少女に見出されその後海外で才能を開花させた青年、そして父親の仕事で海外を渡り歩きながら、ピアノも持たずに、でも天性の耳の良さで有名なピアノ教授に人知れず育てられた少年。その他、彼女を支える友人、サラリーマンとして働きながら最後の夢としてコンクールに出た青年、コンクールの審査員などがからみながら、物語は展開していきます。

 この中で、父親の仕事で海外を渡り歩いた天性の耳の良さをもつ少年が、物語の核となっているのですが、この彼が、表舞台にいきなり出てきて、その独特の経歴から、これまでの常識を覆すようなピアノ演奏の世界を繰り広げ、聴く人々に畏怖や激しい感情の波を起こさせて、その人たちの成長や決断に影響を与えていく、というのが大まかなストーリーです。

 例えば、元天才少女は、ピアノ界に自分が戻れるかどうか自信がなかったのですが、少年の演奏をききながら、頭の中で少年が自分に語りかけてくるのを感じ、その対話から、自分がどんなに音で溢れた世界が好きで、楽しくて、音楽をこういうやり方で奏でたいと思っている、ということに気づいたり、音楽から背を向けた自分がいかに傲慢だったかということに気づいたりして、予選を進めるごとに確固たる姿勢で音楽と向き合う覚悟を決めていきます。少年が直接、元天才少女に話しかけたわけではありません。元天才少女が少年の演奏を聴きながら、頭の中で繰り広げたことです。

 物語では、周りの大人たちが一方的に、この元天才少女のように、さまざまな葛藤や見ないようにしていた自身の弱さを少年という鏡に映し出して、怒ったり、泣いたりします。この少年が自分が人に与える影響について全く無頓着で気づいていないために、「一方的に」というのが際立って見えるのがみそだと思うのです。

 このように、相手が意図しているわけではなく、自分が勝手に相手に自分を鏡のように映し出して、相手が自分にそのようにしているかのように感じる、ということは日々私たちが行っていることです。

 例えば、恋愛関係で、相手に自分の理想像を映し出して、その姿を見て相手を好きになる、とか、上司から嫌われていると思っていたけど、実は自分が上司を嫌っていてそれを相手に投影して相手が思っているかのように感じていた、とか。心理学用語で投影性同一視とよばれます。作者が意図したかはわかりませんが、この物語はそこに焦点をあてて話が展開していくように思われて、そこがおもしろいなと感じました。
posted by MSCOスタッフ at 23:50| 本や映像から

2018年10月08日

レジリエンス(Resilience)

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 私たちは日々様々なストレスを受けながら過ごしています。時にはそれによって心身の調子が崩れます。同じストレスを体験した全員が心身の調子が崩れるわけではなく、そこには個人差があります。その方が抱える他の状況の要因もありますし、サポートしてくれる人がいるかどうかによっても異なります。またストレス状況をどう捉えるかによっても異なります。

 ストレスに対する対応の個人差を明らかにする一つの心理学の用語として「レジリエンス(resilience)」があります。アメリカ心理学会(APA)は「レジリエンスは逆境、心的外傷体験、悲惨な出来事、驚異などの重大なストレスにうまく適応する過程のことである。重大なストレスの具体例として、家族をはじめとする人間関係の問題、重大な健康問題、職業や経済的なストレスなどが挙げられる。つまりレジリエンスとは、困難な体験からの『回復』を意味する」と定義しています。

 日本語では「精神的回復力」「復元力」「心の弾力性」等と訳されます。私たちの心身状態を『風船』に例えると、外からの圧力(ストレッサー)によって形が歪み、それが様々なストレス反応としてでますが、その元に戻る力に作用するものとして使われています。

 私たちがよくお受けする質問の一つに「どうしたらストレスに強くなるか」があります。現在のストレス社会の中でうまく対応していくには・・当然の疑問です。「ストレスに強い」というイメージで、多くの方が抱いているものとして、ストレスを撥ねのける強い精神力(ストレスをストレスとは感じない)のイメージがあるようです。

 しかしカウンセリングの場では、刺激を受けて、『風船』に歪みが生じていることはそのまま認め、それがしなやかに元に戻っていく過程が大事だということをお伝えしています。撥ねのけるというイメージですと、『風船』は固いものになっていきますが、それだと刺激によっては割れてしまうかもしれません。柔らかめで弾力がある方が対処しやすくなります。

 そのしなやかに戻る過程を、考え方のクセが妨げることもあります。
 例えば、育児休暇中のAさん、3人の子育てが生活の中心となり、自分がしたい家事が思うようにできずいつもイライラし、本来はこうではないのにどうしてイライラするのか、母親としてどうなのかと自分を責めていました。
 そこで、Aさんとの話し合いの中で、まず何故イライラしているのかを振り返っていきました。その中で「家事はきちんとした仕事ではあるが、子どもとの時間は遊び要素があり仕事ではない」といった考え方があり、きちんと家事ができないことは自分の役割をこなしていないように感じていたことがわかりました。
 子どもとの時間も家事同様の仕事であり、きちんと役割を果たしているという捉え方をすることで、イライラしにくく本来のAさんに戻っていきました。

 ストレスを受けないように刺激を避けたり、強くなければならないという捉え方ではなく、刺激を受けて調子のバランスが崩れたとしてもどう元に戻してていくかの過程も大切に考えていけるとよいのではと思います。
(参照 石垣琢磨(2017)レジリエンス−予防と健康規制のために−臨床心理学17-5 603-606)
タグ:ストレス
posted by MSCOスタッフ at 23:22| カウンセリング・キーワード

2018年09月05日

人と自分を比べてしまうことについて

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 人と自分を比べてしまうことは誰にでもあることです。比べたくない、比べてもしかたがないと思いながらもつい誰かと自分を比べて落ち込んでしまうことはないでしょうか。今日は、カウンセリングの中で語られる「人と比べること」について書いてみたいと思います。

 「私は些細なことでも気にしてしまうのに、みんなは気にしていないように見える」「みんなは私よりたいへんなのに頑張っている」とおっしゃる方がよくいます。この中で比べられているのは、他者と自分の「感じ方」です。「感じ方は人それぞれだ」とはよく言われることですが、私たちは頭ではそう理解をしているのに、比べられないものを比べようとしてしまうところがあるようです。

 人それぞれに違う「感じ方」「受け取り方」のことを「内的現実」あるいは「主観」といいます。同じ出来事を経験しても直面している現実は人それぞれに違うということです。
 たとえば、上司から「期待してるよ」と声をかけられたとき、Aさんは「評価されてうれしい。もっと頑張ろう」と思うかもしれませんが、Bさんは逆に「プレッシャーだなあ。気が重いなあ」と思うかもしれません。

 Aさんのように肯定的に受け止められているときにはあまり気にならないかもしれませんが、Bさんのように否定的な受け止め方をしているとき、他の同僚たちが「上司から期待していると言われてやる気が出た」と話しているのを聞いたらどうでしょうか。Bさんは、同僚と自分を比べて「自分は人よりマイナス思考だ。なんでも否定的に考えるから駄目なのだ」と思ってしまうかもしれません。

 人と自分を「比べること」は、こんなふうに自分が人と違って見えたときに発動する思考ではないかと思います。でも、肯定的な受け止め方が出来る背景には、日常の上司との関係性もあるでしょうし、抱えている仕事量が多くて疲弊している状態にあれば「期待しているよ」という上司の声かけを肯定的に受け取ることができないのは当然のことです。

 比べるための変数が多過ぎて実際は比べようがないのに人と比べたくなってしまうのは、私たちがいつも「正解」を求めてしまうからではないかと思います。前述のBさんが「なんでも否定的に考えるから駄目だ」と思ってしまう背景には、「なんでもポジティブ志向が良い」とする世間の価値観をBさんが自身の中に取り込んで「正解」だと思い込み、そういうあり方のできない自分に劣等感や不全感を抱いているということではないかと思います。私たちの中に、「多数派」の意見と違うことに不安を感じる傾向があるということもあるでしょう(実際、その見方、考え方が「多数派」なのかどうかも比べようがなくわからないことなのですが)。

 でも、もし「正解」を求めるとすれば、内的現実は人それぞれで違うのですから「正解」も自分自身の中にしかないということにはならないでしょうか。そして、「正解」はひとつではなくいくつもあるものだろうと思います。

 カウンセリングの中で、皆さんは「自分にとっての正解」を見つけていきます。少し時間がかかるかもしれませんし形にはならない内的な作業ですが、山道を登って下るような「乗り越えた感じ」は得られるのではないかと思っています。
タグ:正解
posted by MSCOスタッフ at 19:20| 心理エッセイ

2018年08月01日

プロセスワーク(Process Work)

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“なってみる”ことで発見できること
 イメージを大切にするカウンセリングの技法に「プロセスワーク」があります。ユング派の分析家アーノルド・ミンデルが創始し、個人のセラピーだけでなくカップルや家族のセラピー、組織開発などにも展開されています。

 プロセスワークでは、まずワークする個人のプロセス構造に注目します。
プロセス構造は、3つの部分で構成されています。
『1次プロセス』 自分のアイデンティティ。よく知っているなじみのある自分。
『2次プロセス』 なりたいけどなれていない自分像、逆に自分がしてはならないと思っていることや人。未知の自分。
『エッジ』 2次プロセスを阻んでいる価値観や考え、信念、…。

 これらを書き出してみるだけでも自己理解が多面的になるのを感じますが、『2次プロセス』に出てきた言葉を「〇〇のよう」「〇〇な感じ」などふくらませていくうちに出てくるイメージを増幅し、身体を使って“なってみる”ことをします。

 例を出して詳しく見ていきます。Aさんは30代の社会人女性。少し人付き合いに悩みがあります。
 彼女の『1次プロセス』は「社交的で明るい人、行動的」で、Aさんにとって嫌だと思うのは「受け身で内向的な人」です。これは、Aさんの中に潜在する『2次プロセス』と理解できます。そして「暗いと面倒くさいと思われる」という考えがあります。この考えが2次プロセスの自分を阻む『エッジ』になっているようです。

 Aさんは、2次プロセスの自分に“なってみる”と、「感受性の豊かな、モノゴトを深く考える自分」が表出してきました。さらに、その自分を細やかにゆっくり感じていくと、多くの感受性豊かな子どもが体験する、想像の世界を味わい表現する楽しさを思い出します。

 それを忘れさせていた『エッジ』に注目すると、想像性豊かな遊びの世界を「面倒くさい」と相手にしてもらえなかった子ども時代の悲しみから形作られたことに気づくことになりました。そして、『1次プロセス』の自分を特徴づけた「行動的」であることで得ようとしていたのは、人からの注目であったことが鮮明になりました。

 こんな風にして、Aさんは、忘れていた自分と再会しました。さらに、ネガティブに捉えていた「内向的な人」への感じ方が変化し、それまで「内向的な人」と思って苦手意識を持っていた人との関係が改善して、自然と親しみを感じられるようになっていきました。

 このように、プロセスワークを体験をすることで、気づき・発見することは多く、自分の中に未発見の豊かな鉱脈があることを実感できるようなプログラムです。
posted by MSCOスタッフ at 14:04| カウンセリング・キーワード

2018年07月01日

マインドフルネスのグループワーク実践報告 (セルフ・コンパッションのエクササイズ)

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 マインドフルネスのグループワークを実施しています。全4回のグループワークで1回120分(休憩、座学等を含む)となっています。参加者の皆さんとともにマインドフルネス実践を一緒に楽しみながらやらせて頂いています。

 レーズン・イーティング(レーズンをマインドフルに食べてみる)に始まり、呼吸瞑想ボディ・スキャン瞑想歩く瞑想などのおなじみのエクササイズから、心を静めるタッチ思いやりの瞑想など、ちょっと進んだ瞑想や最新のエクササイズも取り入れています。

 セッションでは参加者の皆さんも相互にディスカッションを深めることを大切にしています。最初は初対面の方ばかりでやや緊張の面持ちでしたが、回を重ねるにつれて参加者同士の人間関係も深まるのは興味深いところです。講師も参加者の皆さんとともに学ぶ“学び手”として、毎回楽しみにやらせて頂いています。

 このグループワークではマインドフルネスに加え、セルフ・コンパッションの実践・エクササイズも行っています。セルフ・コンパッションとは「自分への思いやり」などと訳され、自らへの優しさ、共通の人間性、マインドフルネスという3つの要素で構成される新たなセルフ・ケアの考え方です。マインドフルネスとはいわば親せきのようなもので、近年北米圏を中心に世界的に注目されています。

 セルフ・コンパッションが高まることで不安や抑うつが低下したり、幸福感が上がったりするなど、さまざまな効果が実証されています。最近ではトラウマ治療喪失体験後のグリーフケアなどにも効果があるといわれています。

 わが国では「セルフ・コンパッション―あるがままの自分を受け入れる」(クリスティーン・ネフ著、金剛出版)という訳書で知られるようになりましたが、相談機関で指導できるところは多くありません。最近になり、偶然にもネフの指導を直接受けることができました。こうしたこともあり、是非この素晴らしい考え方を皆さまとご一緒にシェアさせて頂ければと考え、グループワークでの実践に取り入れました。

 マインドフルネスは、日々の実践が大切です。こう書くと「なんかやるの、大変そうだなぁ」と思われるかもしれませんが、少人数のグループワークですので、参加者の皆さまの状況を個別に丁寧に拝見し、なるべく続けて実践して頂けるようにお手伝い致します。特にご自分でこれからの歩みをどうしていこうかと思案されている方にはセルフ・ケアの選択肢の1つになります。ご一緒に参加して、実践してみませんか?


 南新宿カウンセリングオフィスでは「マインドフルネスのグループワーク」を実施しています。
小グループ(4人)で基本的なマインドフルネスを体験してみる4回のコースです。概ね隔週で定期的に行っています。ご興味をもたれた方はご連絡ください。
posted by MSCOスタッフ at 11:35| マインドフルネス

2018年06月01日

会社との付き合い方

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 新年度が始まり、新しく社会人になった方もいれば、配置換えで新しい部署についた方もいらっしゃるのではないかと思います。今回は、会社との付き合い方で、気に留めておきたいことをお伝えします。

 会社に所属することで、やりがいのある仕事に出会えたり自分の新たな能力を発揮できたり・・・これは、会社や組織に所属することで得られるメリットです。

 会社には、組織の風土や体質があります。それは、組織外の人が見ると、少し違和感をおぼえる内容もあります。例えば、比較的個人を尊重してくれる組織もあれば、組織に追従することが絶対の組織もあります。ひとたび所属したら、その環境に、無理のない程度に適応していくことも大事ですが、最終的には、自分の身体、心が危険な目にあわないように、組織に依存しすぎることなく会社と付き合っていくことが大切になります。特に新入社員の方、まだ社会人経験の浅い方は、意識しておくとよいのではないかと考えます。

 というのも、カウンセリングでよくご相談にあがる仕事の悩みの中には、「高圧的な上司からこう言われて、せざるをえなかった」とか、「上から言われたこの仕事をしないと、自分のキャリアの道は絶たれてしまうのではないか」などの理由で、自分の身が怪我や病気等の危険にさらされても何か使命感を持って行ってしまう方が少なくないからです。真面目で組織に忠実なのは、働く上では大切なスキルでもあるのですが、度がすぎると危険です。実際にうつ病になってしまう人、大怪我をしてしまう人もいるからです。同じ会社の人たちは、同じ風土にいるので、おかしいことにも気づかず同様に危険な場合があります。

 そのような危険な状態に陥らないために、日頃から、家族、同じ会社ではない友人などと会社や仕事の話をしておくことで、危険なことが早めにわかったり、自分の会社を客観的な視点でみやすくなります。また外部機関のカウンセリングなどを利用して話してみることで、新たな視点に気づいたり、自分がマインドコントロールされている状態になっていないかなどを客観的にみてもらうこともできます。

 自分の所属している組織を、客観的に見ながら、ほどよい距離で付き合っていきましょう。
posted by MSCOスタッフ at 13:55| セルフメンタルケアのコツ

2018年05月13日

メンタライゼーション(Mentalization)

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 「メンタライゼーション」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。少し聞きなれない言葉かもしれません。
「メンタル」から派生した言葉で、メンタルの動詞形が「メンタライズ」です。
 意味は「心にする」「心を想像する」といったところです。メンタライゼーションとは「自己・他者の行為を、精神状態(欲求・感情・信念)に基づいた意味のあるものとして理解すること」と定義されます。行為には、発話や態度も含まれます。
 「あの人はどういう気持ちからああいう行動をとったんだろう?」と想像したり、「どうして私はあの人に対してイライラしてしまうのだろう?」と自分を省みたりする、誰でも日常的に行っている心の作業のことです。

 メンタライゼーションが行われている身近でわかりやすい例は、赤ちゃんに対するお母さんの心の動きです。赤ちゃんは言葉で表現することができないので、泣いて訴えることしかできません。お母さんは赤ちゃんの状態や泣き方を見ながら、何が起こっているのか、なぜ泣いているのかを心を使って考えます。そして赤ちゃんのニーズをくみとって対応します。(おしっこをしてオムツが濡れて気持ち悪くて泣いているんだ。オムツを替えてあげよう)


 健康的なメンタライジングモードでは、行為は、精神状態と関連づけられて理解されます。精神状態は、外的現実を反映していますが、外的現実とは分離しているものとして認識され、複数の見方でとらえることができます。

 例を挙げてみましょう。朝、出社して同僚に挨拶をしたとき、その同僚の口調や態度が無愛想に感じられたとします。「何か自分がこの人の機嫌を損ねるようなことをしてしまったのだろうか」と心配になって考えてしまうことでしょう。しかしいつも通り挨拶をしただけですし、前日のことを振り返ってみても特に相手を不快にさせた覚えがないとします。もう一度よく同僚の様子を見てみると、疲れているようですし、顔色もあまりよくありません。(もしかして具合が悪いのかな…)そう思って、「○○さん、今日調子悪いですか?」と尋ねると、「実は朝から頭が痛くて…」とうなずいています。「お大事にね」と言ってその場を離れることができるでしょう。
 このように、相手の行為(発話や態度も含む)に対して複数の見方を検討することができるのが健康的なメンタライジングモードだと言えるのです。


 しかし、メンタライゼーションのモードは状況によって変化します。強いストレスを受けているときやピンチのときには機能不全を起こして、「非メンタライジングモード」が表れやすくなります。

◎心的等価モード
心=外的現実。心で思ったことがそのまま外的現実でもあると体験される。例えば夢、フラッシュバック、パラノイド的妄想に見られる。
◎ふりをするモード
心を外的現実から分離したものとして認識しているが、現実と柔軟に結びつけることができず、空想、観念、概念などの世界に入り込み、現実との接点を失っている。心理学用語の濫用として表れることもある。
◎目的論モード
願望や感情のような精神状態は精神状態として認識されず、直接的行為として表出される。行動化とも言われる。このモードでは、行為と有形物のみが重要であるととらえられる。

 こういったモードでは健康的なメンタライゼーションを行うことが難しい状態にあると言えます。これを健康的な状態に戻していくこともカウンセリングで行うことの一つです。


 メンタライゼーションとカウンセリングは切っても切れない関係です。カウンセリングにおいては「心の中で何が起こっているかに注意を向ける作業」が中心になるからです。クライエント自身も、カウンセラー自身も、ともに自分の心の動きに目を向け、言葉にして表現したり、相手に伝えたりする交流が行われます。カウンセリングはメンタライゼーションの連続です。

 メンタライゼーションの作業がつらく感じることもあるかもしれません。悩みや苦痛の根底にあるものを言葉にするということは、決して楽なことではないからです。しかし、カウンセリングにおいてメンタライゼーションが重要視されるのは、メンタライゼーション力の成長が、主体感覚の回復をもたらし、感情を制御する力を育てるからです。

 カウンセラーは、クライエントが安心してメンタライゼーションの作業を行えるよう、「安心基地」として機能できるような関係を築くことをしていきます。この関係を基盤にして、クライエントは自身や他者の心の動きを探求することができるようになるのです。

参考文献:上地雄一郎『メンタライジング・アプローチ入門 愛着理論を生かす心理療法』北大路書房 2015年

posted by MSCOスタッフ at 14:53| カウンセリング・キーワード

2018年04月20日

クライアントという名称

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 カウンセラーとして仕事をしていると、様々な人がカウンセリングを受けにいらっしゃいます。みなさんは、私たちのことは「カウンセラー」だと思っていらっしゃいますが、意外とカウンセリングを受ける側であるご自身がなんと呼ばれるかは知らないのではないでしょうか。でも実はその呼ばれ方にこそカウンセリングの真髄があると思います。

 例えば、風邪をひいて病院へ行けば、診てくれる人は「先生」で、私たちは「患者」ですし、英会話を習いにいけば、教えてくれるのは「先生」で、私たちは「生徒」です。ここには、「先生」が、「患者」や「生徒」に自分の持っている力で治してくれたり、教えてくれたり、という「やってもらう」関係が生じています。

 カウンセリングを受ける人たちはカウンセラーのことを「先生」と呼ぶことが多いと思いますが、では受ける側が「患者」かといえばそうではないし、かといって「生徒」というわけでもありません。カウンセリングを受ける人は「クライアント」とよばれています。

 「クライアント(client)」には、「依頼人」とか「顧客・得意先」という意味があります。例えば、法律事務所で弁護士を雇うと、その依頼人は「クライアント」と呼ばれますし、広告代理店が広告を作るときの広告主は「クライアント」です。また、コンピュータでサーバーの提供する情報・機能を利用するユーザー側のコンピュータのことも「クライアント」と呼ぶようです。

 こうしてみると、「クライアント」という言葉は、ビジネス関係などで相手を「雇う」ときに生じる言葉で、そこには「雇う」側と「雇われる側」に対等の関係があるように思います。そのつながりは「契約」によって生じていて、契約が守られなければ関係を取りやめることができます。

 私は自分が初めてそのことを知った時に"ちょっと目からうろこ"で、且つ、すがすがしいような気持ちになりました。それまでなんとなくカウンセリングを受けるというと、受ける側が困っていて「カウンセラーに助けてもらう」ような感覚があるように感じていました。

 でもそうではないのです。自分が今の自分の力ではこれ以上進めないと思ったときに、「カウンセラーを雇って自分が先に進むためのプラスにする」ということなのです。そこには受ける側に主体性があります。この「主体性」こそがカウンセリングにおいて大事なことで、だからこその「クライアント」という名称なのだと思います。

 みなさんがカウンセリングを受ける際には、是非カウンセラーを主体的に活用して、ご自身の問題の解決を進めてください。
posted by MSCOスタッフ at 15:56| カウンセリングとは

2018年03月24日

架空ケース:「無能感 自分の感情なのか母親の感情なのか区別できない」

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<架空のケースを元に、実際に起こりがちな悩みとカウンセリングのアプローチを紹介しています
 自分自身の無能感を深く感じていて意欲的になれない、Eさん(30代 会社員 女性)。

 Eさんは理系の大学を卒業し、技術者として仕事をこなしてきました。持ち前の協調性と丁寧な仕事ぶりが買われ職場でも評価されていました。しかし、中堅として責任の重い仕事を任されるようになってきてから不安が強くなり、意欲が持てなくなりました。現場にいる作業員を指導することが出来ず、些細なことでも上司の助言なしには自身で判断を下すことが出来ません。次第に会社に行くことがつらくなり、頭痛や吐き気で会社を休むことも多くなってしまいました。

 Eさんは人並み以上の能力があるにも関わらず、自分は無能であるという感覚がぬぐえません。 カウンセリングでその「無能である」という感覚を掘り下げ、これは一体何なのだろうと考えていきます。

感情と向きう
 Eさんの母親は、いつもわがままなEさんの兄に振り回され疲弊していました。父親は、穏やかで優しいけれども、きちんと息子と向き合い叱ることのできない人でした。Eさんは、「頼りない父親の代わりに自分が母親を助けなくてはならない」と思っていたといいます。Eさんの母親も「ママの気持ちをわかってくれるのはEちゃんだけ」と言って、いつも愚痴をこぼしました。

 Eさんにとって印象的な出来事があります。高校1年生になったばかりのある日、母親が突然家出し1か月ほど帰って来なかったそうです。なによりショックだったのは父親や兄だけでなく、自分にも何の理由も言わなかったことです。その時、今まで母親を助けようと頑張ってきた自分は一体何だったのかと強い無力感に襲われたといいます。

 そこから見えてきたのは、親に対する感情でした。Eさんが「親から愛されたい、大事にされたい」と思ってやってきたはずだったことが、結局「親から利用された」という気持ちしか生まなかったということでした。

 そして、感情を再体験する中で、「どうせ私は無能だ」「誰か助けて欲しい」と呪文のように唱えている自分自身に気づいたのです。それは、「どうせママは母親失格よ」「どうしてパパはママを助けてくれないの」という母親の口癖とそっくりでした。Eさんは、「これは自分の感情なのだろうか。それとも母親の感情なのだろうか」と思ったといいます。

 でもこの感情を、「区別できない」と思っているということは、「これは自分の感情ではなさそうだ」とわかっているということでもあります。

「取り入れ」ること
 私たちは親や兄弟、友だちなど、自分にとって重要な対象を「取り入れ」ます。取り入れるのは、彼らの態度や感情、行動などあらゆることです。思春期の子どもが、アイドルの髪型や話し方をまねする「同一化」という行動がありますが、これは自覚的に行わるものでやめることは簡単にできます。しかし、無意識に無条件に行われてしまう「取り入れ」は、なかなかやっかいなものです。

 親は通常、本人の意志とは関係なく、生まれた瞬間から最も身近で重要な対象です。私たちは、「母親や父親のようになりたい」と思う以前に、無意識に親を「取り入れ」ます。子どもは「親が育てたい様に育つ」のではなく「親の様に育つ」のです。

 なかでもやっかいなのは感情の「取り入れ」です。子どもが親の感情を自分の物のように思い込んでしまうことは良くあります。また、親の願望を無意識に取り入れ、それを実現しなくてはならないと思うこともあります。

 親が自分自身を無力な存在と感じており、いつも誰かに助けを求めている場合、子どもは自身を無力な存在であると感じると同時に、親から愛されるために親を助けなくてはならないとも思うものです。

 それは、どちらも親から捨てられないため、自分が生き残るために必要なことです。身体が食物を求めるように自然発生的に行われるのです。ただ、生き残るため、自分自身を守るために行われていたことが、成長するにつれその人自身の苦しみのもとになってしまう場合もあります。

感情の分離
 自身の感情とよく向き合ってみると、Eさんの中には母親から守られた、世話をしてもらったという実感がないことに気づきました。母親が世話をしていたのはわがままな兄の方であり、Eさんは母親から愛されようと従順で手のかからない子どもであろうとしたために母親にとっては世話をする必要のない子どもになってしまっていたのです。

 Eさんの抱える無力感、無能感は、母親を助けられなかった自身の体験も関係していました。そうやって思い返してみてはじめて、Eさんは親に頼らずいつでもひとりで頑張ってきた自分自身に気づいたのです。

 そうして初めて「いつでもひとりで頑張って来た自分が無能であるはずがない」とEさんは強く実感するようになりました。その後もEさんは責任の重い仕事を前にすると、「私にできるだろうか」と不安になることはありますが、不安感はEさん自身の真面目さと完璧主義的な性格から来るものであり、それと母親から取り入れた無能感は別のものだということがわかるようになりました。

 自身の完璧主義とどう付き合うかというところはこれからの課題ではありますが、無能感にとらわれて仕事に意欲の持てない状態からは脱することができました。

 私たちは誰でも、親を取り入れて「偽りの自己」を作り上げるものです。また、「自分がない」「自分は空っぽだ」と感じている方もいることでしょう。でも、本当はそんなことはありません。カウンセリングでは「取り入れた親」と「自分自身」の感情の区別をつけ整理するなかで「本当の自分自身」に気づいていくことができるのです。
posted by MSCOスタッフ at 22:01| 架空ケース

2018年03月07日

カウンセリングを受けるかどうか迷う時に

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 私はある自治体で、回数に限定はあるものの住民の方が無料で受けられるカウンセリングに携わっています。地域で関わっている施設や機関から紹介されてきたという場合もありますし、カウンセリングがどういうものか試してみたいと思ってきたという方もいらっしゃいます。ご相談の内容にもよりますが、数回で解決の方向性を共有できるときもあれば、引き続き支援が必要と思われる方には、医療や相談機関につなげていくこともあります。

 皆さんのお話を聴いていて思うことは、抱えている悩みや苦しみは大きいにも関わらず、ご自身で抱えてしまいさらに苦しくなっておられる方が多いということです。これまで相談に行くことは考えたかどうかを伺うと、費用面を心配される方もいますが、「カウンセリングではどういうことをするのかよくわからない」「カウンセリングでは病気だとか、何か人と違っている人が受けるものだ」「カウンセラーから病気と決めつけられる、また一方的にアドバイスをされる」などのイメージがあり、抵抗があって受けてこなかったということも多いです。

 カウンセリングでは、今起きている負担や苦しみにつながっている状況因やその人の物事の捉え方や対人関係のパターンを探りながら対応を考えていきますが、その過程ではネガティブな面だけに焦点をあてるとは限りませんその方が元来持っている強みや健康的な面にも焦点をあてて、幅広く進めていきます。これまでストレスがかかった状況の時にその方なりにどう乗り越えてきたか、その過程もヒントにして進めていくこともあります。

 カウンセリングを体験すると、カウンセリングのやり方や進み方を見通すことができたり、カウンセリングへの疑問、心配や不安もカウンセラーと話し合えて解決できることもあります。

 臨床心理士の相談が無料で受けられるところや、勤めていらっしゃる方であれば、社内で産業保健スタッフの体験のカウンセリングを受けられたり、会社によっては会社負担で外部の相談機関のカウンセリングを受けられる制度もあったりします。そういったものをうまく利用していただき、お試しで受けていただくことは1つだと思います。そういったことでカウンセリングへの過剰な抵抗が少しずつ減っていくことに繋がればと思っています。
posted by MSCOスタッフ at 19:24| カウンセリングとは