2019年09月07日

メンタライジング能力を養い、相手の気持ちや考えを想像する

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 私はスクールカウンセラーとして小学校に勤務していて、いじめの相談に出会うことも少なくありません。

スクールカウンセラーとしてかかわる場合、「いじめられた子ども」の心のケアに当たることが多いのですが、「いじめた子」との面接を教員とチームを組んで行うことも増えてきました。いじめが生じる背景にはいろいろな要因が考えられます。規範意識の薄さ。衝動コントロールの問題。アンガーマネジメントやストレスマネジメントの課題。同調圧力によるストレス。などなど。

 いじめをしたという子たちの話を聞くようになって、最近感じるようになったことは、むしろ彼らの「規範意識の強さ」です。ルールから外れること、みんなと違うことを行うことへの懲罰意識です。「悪いことをしている人は注意しなければならない」という彼らの考えは正しいのですが、伝え方が「攻撃的」なのです。1人が始めた注意がだんだん周囲に広がって、みんなで1人を注意するようになり、言い方が強くなり、時に手を出して無理やりでも言い聞かせようとし、「守れないなら輪に入れない」となり、陰でその子の良くないところを言って触れ回るようになり、避けるようになり…。
もうこれ、いじめですよね。
 
 ここまで極端ではなくても、「正しさ」を伝えることが相手の心を傷つけてしまっている可能性はいろいろな関係性で起こりうることです。
 「正しさ」はとても大切なのですが、正論を突きつけることは「あなたは間違っています」というメッセージを伝えていることにもなります。「間違っている」と言われた相手は傷ついますし、心を閉ざしてしまいます。
 
 正論を相手に突きつけてしまうとき、相手の気持ちや考えを想像するということが難しくなっています。「自分が絶対に正しい」という強い思い込みに支配されています。しかし実際には、何を正しいと考えるかは人によって異なるのです。立場や役割、関係性によっても変わってきます。
 
 私たちはともすれば、他の人も自分と同じ視点や認識で物事をとらえている、という前提で考えたり行動したりしてしまいます。反対に、他の人が何を感じ、考えているか、異なる複数の見方を思い浮かべる場合には想像するという努力が必要なのです。
 
 ストレス発散で他者を攻撃しているときも、相手に対するネガティブな感情をそのままぶつけているときも、自分の正しさを絶対視して相手に突きつけているときも、実は他の人の異なる視点を考慮するというプロセスが抜けています。
 自分や他者の行動の背景となる精神状態(感情、欲求、意図、目的、理由など)に関心を向けることを「メンタライジング」と呼びます。心で心を思う機能のことです。
 メンタライジングは主に、精神療法的治療の場で用いられる概念ですが、日常生活の中でごく自然に行われている営みでもあります。
「自分がこう言ったら相手はどう感じるだろうか」
「自分はこれが正しいと考えるが相手はどうだろうか」
「私は〇〇ができるが、なぜこの人はできないのだろう」
「別に必要じゃないのになぜか買い物が止められない。どうしてだろうか」
こうした問いに関心を持ち、考えつづけること。必要に応じて表現し、行動していくこと。それらの営みを支えるのは「メンタライジング」の働きです。
 
 最初に述べたいじめの例では、注意をしようという子どもたちの「メンタライジング」が機能していないのです。「自分(たち)が絶対に正しい」という思い込みに縛られ、相手のことがどう感じているか、何を考えているかという視点を持つことが難しくなっているのです。
 
 「メンタライジング」はさまざまな領域で注目されはじめています。子育て支援の分野では、養育者のメンタライジング能力を養うためのワークショップやグループでの活動が始まっています。教育現場でも、教員向けに研修が始まっている地域があります。また、海外では小学生を対象にしたいじめや攻撃的な言動を削減するためのプログラムの中でメンタライジングを促進させるための研究が行われています。日本で取り入れられる日も近いと思います。
タグ:いじめ
posted by MSCOスタッフ at 11:25| 心理エッセイ

2019年08月02日

怒りのサインをうまく使う

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 「アンガーマネジメント」「アンガーコントロール」など、怒りの感情とうまく付き合う方法について、本やセミナーなどで学んだことがある方もいらっしゃるかもしれません。

 怒りはやっかいなもの、始末に負えないことと思われがちです。実際、怒りの感情によって、破壊的な結末を迎える出来事も少なくありません。今回は、怒りのサインをうまく使う方法を少しお伝えいたします。

 まず、覚えておいていただきたいのは、怒りのサインは自分の身を守るために重要な感情だということです。人間は大昔から、危険から身を守ることを優先に脳が働いています。なので、何か自分の心身に危険と感じられる出来事があると、脳が「危険だよ!」というサイレンを鳴らします。
 よく、人から嫌なことを言われて、反射的に怒ってしまう現象がそれです。ここで問題となるのは、相手は、自分とは違う人間なので、自分と同じようなことで危険と感じるかどうかはわかりません。よって、怒られた相手は「あの人は急に怒りだしたけれど何が気に障ったのだろう?」と困惑してしまいます。

 怒るということ・・・危険!と感じるということは、つまりはその人にとってとても大事なこと、譲れないことでもあります。そこが侵されそうになるから危険と感じ、守らなくちゃ!と怒るわけです。
 しかしそれは万人が大事と思っているわけではなく、個人個人で大事にしたいポイントが異なります。よく、「普通こうでしょっ!」「あたりまえじゃないの!」の「普通」や「あたりまえ」はその人にとっての「普通」であって、他の人にとってはそうではないかもしれないのです

 よって、自分の怒りポイント・・・言い換えれば自分が大事にしたいポイントを日頃から認識しておくことが重要です。「自分は、時間に遅れる人には怒ってしまう」とか、「人に迷惑をかけている人を見ると許せなくなる」など、自分にとって「ここは譲れない」「ここが壊されると怒らずにはいられない」というポイントをおさえておきます。
 そして、自分の怒りにふれるような事態がおきたときに、反射的に怒るのではなく、例えば「自分は、人に迷惑をかける行為については、見過ごせないところがあるのです。なので、私自身も人に迷惑をかけないように人一倍気をつけています。あなたにとってそこは大事ではないかもしれないけれど、自分にとっては大事なところなので、できれば〜してもらえるとありがたいのですが」と伝えます。
 このように伝えることで、相手は、あなたの大事にしたいことを理解し、お互いこの辺りで手をうちましょうというところを一緒に探すことが可能になります。

 もしかしたら、折り合いのつかないことも少なくはないかもしれません。それでもお互い自分の大事にしたいポイントを見せ合うことで、それがもし重ならないのであれば、諦めもつきやすくなるかもしれません。また、相手と話すことで、自分が大事にしたいことに固執しすぎていることに気づくこともあるかもしれません。

 怒りは破壊力があるため、怒りをそのまま使うことは自分も相手も傷つきます。怒りのサインが出てきたら、反射的に行動せずに、自分は何を大事にしたいのか、何を壊されたくないのかをよく考えて相手に伝えてみて下さい。怒りのサインをうまく使うことで、自分を大切に守っていきましょう。
タグ:怒り
posted by MSCOスタッフ at 14:38| セルフメンタルケアのコツ

2019年07月17日

コラージュ療法と岡上淑子

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 少し前になりますが、東京都庭園美術館にて「岡上淑子 フォトコラージュ 沈黙の奇跡」を見て参りました。岡上淑子さんについてご存知の方はそう多くはないでしょう。というのも、制作期間は1950年から1956年というわずか6年間という短いものですが、その間におよそ100点のコラージュ作品を制作されました。
岡上淑子 フォトコラージュ 沈黙の奇蹟
 1950年といえば、終戦から5年しか経過していません。岡上作品にも戦争の影響を大いに受けていました。【廃墟の旋律】では、瓦礫から延びる手と楽器を奏でる女性像が印象的です。瓦礫に埋められ助けを求めて伸ばされた手を誰も救うことは叶わない、けれどそれに対して鎮魂歌を奏でているかのようです。岡上作品には女性と手が多用されている印象を受けました。
 彼女自身、救いを求める手を延ばすと同時に、新たな時代を迎える女性像が投影されているのではないではないでしょうか。実際、後期の作品となると、ふんだんなレースを使ったドレスを身に纏い(ただし顔は機械や昆虫、陶器等で隠されている)空中に浮遊する女性作品が多くなります。自由に発言をするには、匿名性が必要であることは現在のSNS等にも見られる現象のようにも考えられます。

 ここまで書いてきた、『コラージュ』という言葉も、実は耳慣れないかもしれません。コラージュ(collage)とは、膠(にかわ)による貼り付けという意味のフランス語です。コラージュはもともとピカソらによって芸術の一つの技法として20世紀の初めに登場してきたという背景があります。芸術家が自分独自のものを創作するのではなく、社会的産物である既成のイメージを切り貼りして作品を作るという発想の転換は。以後の20世紀芸術に大変革を与えることとなりました。

 芸術の世界で花開いたコラージュは、1970年代頃から、芸術(表現)療法のひとつとして、コラージュ療法が行われるようになってきたと言われています。コラージュの方法は非常に簡単明瞭で、雑誌やパンフレットなどの絵や写真・文字などをハサミで切り抜き、台紙の上で構成し、貼り付けるだけです。簡易なものですから、幼児から老人まで、基本的にはどの年代の方にも導入が出来ます。
 そして言葉で表現をすることや、内面を掘り下げていくことが難しい方でも、『作品』という形で自分自身を少し離れたところから眺めることができるのです。作品の意味するところはその時にはわからなくても、不安や問題点等、作品を通して理解し治療を続けることが出来ると言われています。また、作成そのものに自己治癒的な面があります。

 では、何のためにコラージュを作るのでしょうか?それは「カウンセリングの目的とは?」という問いかけとも繋がっています。カウンセリングの目的のとして、自己表現を促すことが挙げられます。自己表現が出来れば、自分自身の問題に気付くことが出来ます。そして、気付きを得ればその解決方法はその人自身が知っていることに気付くでしょう。カウンセラーは、時と場所を提供して、それを援助する存在なのです。

 岡上淑子さんは、人生において最も多感な時期に作品の制作を行い、そして結婚という現実と共に制作を終えました。不安やストレス、ある種の問題を抱えている時こそ、自己表現をしていく作業が必要と考えられます。そしてそれを終えた時には、現実に戻っていく時期となるのでしょう。そのようなお手伝いをカウンセラーとして出来ましたら幸いです。
タグ:コラージュ
posted by MSCOスタッフ at 00:14| 心理エッセイ

2019年06月06日

ストレスを感じたら… すぐにでも取り組める4つの方法

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 現代はストレスの多い社会と言われます。家族との関係や、職場の上司や同僚との人間関係、長時間労働、育児と仕事の両立、学業問題など、私たちは日々さまざまなストレスにさらされています。簡単に問題が解決しないことも多いでしょう。そのような時は、ストレスに対処するコツを身につけると良いでしょう。ストレスを軽くすることができると、今抱えている問題にも落ち着いて柔軟に対処することが可能になります。今回は、ストレス緩和の4つの方法を整理してご紹介します。

1.質の良い睡眠、バランスのとれた食生活、適度な運動など、基本的な生活のスタイルを見直してみる
 起床・就寝時間を守り、寝床は寝る時だけ使用するようにしてみると、自然と質の良い睡眠がとれるようになります。
 また、簡単なものでも、栄養バランスを考えながら自分で食事を準備して3食きちんと摂るように心がけてみましょう。
 適度な運動も有効です。スクワットや散歩など、汗をじわっとかく程度の運動が役に立ちます。汗をかくと、体内の疲労物質(ストレス)を外に排出することができ、頭がすっきりして、物事を前向きに考えやすくなります。

2.エネルギーをチャージする
 自分の好きなことは何でしょうか?何をしている時、最もわくわくするでしょうか?あるいは楽しいと感じるでしょうか?
 友達と会って話をすると元気が出る人、美味しい食べ物を食べると幸せを感じる人、バラエティ番組を観て大笑いするのが好きな人、ライブでの一体感を味わうのが好きな… 人によって活力が湧いてくる瞬間はさまざまですが、自分にとってエネルギーが湧いてくる活動を見つけることが大切です。
 素の自分は何が好きなのかを知るために、子どもの頃自然とやっていたことを思い出してみるのも良いでしょう。

3.リラックスできることを試してみる
 心にたまったストレスを外に出すために、ストレッチやヨガ、熱いお風呂に入るなど、筋肉をほぐし血液の循環を良くする活動を行うと良いでしょう。自然の中に入って、景色を眺めながら新鮮な空気を吸ってみることなどもお勧めです。心地よくリラックスできる活動は、今抱えている問題から距離を置くことを促してくれます。

4.人に話してみる
何か問題を抱えている場合、同じ問題を共有している人に思い切って話してみるのも一つの方法です。自分だけが悩んでいると思っていたら実は他の人も同じように考えていた。
 そんなことは珍しいことではありません。そこで一気に孤独感が和らいでストレスが緩和することもあるでしょう。一人で抱え込まず、人に話してみましょう。

 以上、ストレスを和らげる方法をいくつかご紹介させていただきました。これらの方法は、日常的に取り入れることで、ストレスを緩和して問題に取り組みやすくしてくれるだけでなく、うつ病などの重大な疾患にかかることを未然に防いでくれます。
 日常に追われふと気づくとストレスと疲労感でいっぱいだった。そんな時に、ぜひ一歩立ち止まってご自身をケアする方法を試してみてください。
タグ:ストレス
posted by MSCOスタッフ at 02:22| セルフメンタルケアのコツ

2019年05月02日

「予測」してストレスを減らす

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 先日私はあるフルマラソン大会に出場しました。私はフルマラソンの体験自体少なく、その大会は初めてだったので、過去に出場した人から情報を聞きながらそれなりの準備をしてきたつもりでした。
 当日は雨が降る予報があり、真冬での雨のマラソンは濡れて冷えないようにするための対策が必要でした。しかし、前日まで私の頭にあったのは、「雨はきっと途中から降るであろう、降ったとしても小雨だろう」という勝手な予測でした。その勝手な予測での準備で当日を迎えることになり、しかも当日の天気予報はきちんとチェックせずに会場に向かいました。

 実際当日はスタート前から雨、しかも本降りでした。自分の予測と外れ、落ち込み、服装などの対策は結果甘く身体が冷えて、気持ちも切り替えられずに不本意な結果となってしました。(もちろん自分の走力など他の要因も大きいのですが・・)
 今回のことを振り返ると、私に必要だったのは、雨が降るということの予測だけでなく、雨の降りだす時間や降る量をいろいろ想定して心の準備すること、直前まできちんと情報を収集して対策を講じることでした。

 予測外の出来事は、例えば自然災害、事故、事件、病気、会社では突然のリストラや配置転換などが起こると私たちは混乱し、大きなストレスを感じます。これらは予測自体難しいことなので仕方がありませんが、日常生活の中で、またこれからの人生の中で、起きるだろうことを予測しておくか、そうでないかでストレスかの係り方はずいぶん違います
 大手術をする医師は、起こりうるあらゆる事態を想定しているそうです。それらをシュミレーションすることで頭の中で準備をしているので、それに応じて冷静に対応できるとのことです。

 予測は自分のストレスをコントロールできることにもつながりますし、対人関係でも使えます。職場や家庭の人間関係の中で、起こりやすいこと、相手が考えそうなこと、しそうな行動が予測できると、こちらも心構えができたり、準備ができて対応しやすくなります。

 しかし予測する時にやっかいなのは、自分の都合の良いように思い込んで予測する傾向があるということです。(私の場合は、走る時に雨にできるだけ降られたくないので「雨の降りだしは遅い、しかも小雨である」という思い込み)しかもその思い込み自体に気づかずに、自分の思い込みに都合の悪い情報を無視又軽視して、その結果その思い込みを維持してしまうことです。
 私たちにはそのような傾向が生じやすいことも踏まえて、いかに冷静に様々な視点で情報を得ながら「予測」をすることが大事なのではないかと思います。
posted by MSCOスタッフ at 00:00| セルフメンタルケアのコツ

2019年04月01日

カウンセリングの期間ってどのぐらい?

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 はじめてカウンセリングを受けに来られた方からよく受ける質問です。医療機関では、治癒までにかかる期間を含めた治療の見通しを医師から伝えられることも多いですし、カウンセリングでメンタル不調が改善するのにどのぐらい時間がかかるものなのだろうかという疑問を持たれるのは当然のことと思います。こういう質問を受けた場合、私はまず「年単位の時間がかかると思ってください」とお答えすることにしています。
 実際には、直面している課題が明確であったりテーマを絞ってカウンセリングを行う場合など、数ヶ月もしくは1年未満で終了となることもあるのですが、今抱えている問題がある程度片付いてきたり、見通しがついてくるまでには2年ほどかかるのが一般的です。ただ、あくまで「ある程度片付いた状態になる」 「見通しがつく」というところまでに2年ぐらい、ということですから、多くの方が2年で終了しているかというとそういうことでもありません。

 標準的な進め方としては、まず初回のカウンセリングでは現在抱える困りごとをお聞きし、その後親子関係を含めご自身の経験してこられた身近な方々との人間関係や記憶に残る傷つき体験、葛藤的なエピソード等、ご自身の成り立ちについて詳しくうかがいます。過去の体験についてお聞きするのは、その中に現在につながる人間関係のパターンや問題が起きたときのその方なりの対処法パターンなどが隠れていることが多いからです。そうやって過去の体験を整理することでご自身の抱える課題やテーマがある程度見えてきますので、それを共有した上でどうやって進めていくかを話し合い、カウンセリングがはじまります。

 ただ、カウンセリングを船旅にたとえるなら、抱える課題が見えたとしても、それはまだ遠くの方にぼんやり灯台の明かりが見えている程度での出発になりますから、これからどのような航路を進むことになるのかは私たちカウンセラーにもはっきりとはわかりません。私たちは、航海士として、どんな船を選ぶのか、どの航路を進んでいくのか良さそうか、などなど経験上の知識を頼りに皆さんに提案をしていきますが、人の心は自然現象と同様コントロールがきかないこともありますから、突然嵐に巻き込まれることもあります。
 そんなときには、いったん近くの港に停泊することになるかもしれません。そういった意味で、カウンセリングの終了までどのぐらいの時間がかかるかは、はじまってみないとわからないものなのです。カウンセリングは、前提として「自分という自然相手」と思っていただくのが良いかもしれません。

 また、カウンセリングには年単位の時間が必要とお答えをするもうひとつの理由として、腰を据えて取り組んでいただきたいということもあります。
 皆さんの「とにかくつらいので早く楽になりたい」という切実な訴えをお聞きしながら、「霧が晴れるように、ある朝目が覚めたら悩みや困り事がすべて消え去っていたらどんなに良いだろう。そうなる特効薬があったら良いのに」と思うこともしばしばですが、そういうつらい状態は、様々な試行錯誤を経て長い時間をかけて作られてきたものですから、残念ながら一朝一夕に良くなることはありません。
 また、心の問題はケガや身体疾患とは違って目に見えるものではないので、悩みや問題を抱えているご自身でさえ、それがどれほどの大きさ、深さなのかがわかっていないことも多く、「職場の人間関係の影響で今はちょっと精神的に参っているだけ」と話されていた方の抱えている問題がよくよくお話をうかがっていくと実は非常に根が深いこともありますので、「自分の不調は軽いから数ヶ月で良くなるだろう」と軽く考えないでいただきたいというところもあります。つまり、焦らず気長に構えていただきたいのです。

 「カウンセリングは年単位の時間が必要」というお答えをすると、がっかりされる方もいらっしゃるのですが、実際はじめてみると、まだ課題の解決、改善にはほど遠い状態でも気持ちが楽になるものだということは最後にお伝えしておきたいと思います。
 それは、自分の中で何が起きていたのかがわかることで安心感が得られるようになるからです。「なるほどそうだったのか」という腑に落ちる経験を心理学では「カタルシス」と言いますが、「カタルシス」はカウンセリングの中ではしばしば起きるもので、おそらく長い航海を続けて行くためのモチベーションとなるものではないかと思います。
タグ:期間
posted by MSCOスタッフ at 00:36| カウンセリングとは

2019年03月02日

「本来の自分」を取り戻す ─夢のはなし─

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 こんな夢をみました。
『何かの行列に並んでいる。「気取った女性」が何か言うと、近くにいた「遠慮のない女性」が叱るように言い返して、「気取った女性」の「バッグ」を捨ててしまう。「気取った女性」はしりもちをつくが、いつのまにか2人は他の人たちとワイワイと話しながら遊びに行く。』
 2人の女性は実在しない女性ですが、「気取った女性」も「遠慮のない女性」も、私の中にいる「自分」なのでしょう。「バッグ」は母親との思い出のある店で買ったモノでした。「バッグ」を持った「気取った女性」は、母親から取り入れたやり方を身につけて社会でやっていくのに大人の顔を作っているように見えました。また、「遠慮のない女性」は、荒っぽくも思えるけれどどこか自然体でむしろ親しみが感じられました。
 
 日々の現実の中で、私たち大人は「本来の自分」をいつのまにか心のどこかに押し込め、なかなか見いだせない状態にあることがあります。そうした状態が続いて自分をないがしろにしていると、自分自身がわからなくなって、その場の空気や周囲に合わせて動くだけの、作り物のようになってしまうこともあります。そんな時、私たちは「本来の自分」を取り戻して、自由に歩いていきたいと望むのだと思います。
 ただ、「本来の自分」を取り戻すというのは、今の自分を否定してどこかに「真実の自分」を発見する、というようなこととは少し異なるイメージかなと思います。

 精神分析家のサールズは、無意識に住んでいる様々な自分を「内なる自己たち」と呼んでいます。それぞれの自分に気付くこと、それぞれの自分に意識を向け受容すること。それが心の問題を回復させることにつながると語っています。
 日々を過ごす「今の自分」の中に住んでいる「○○な自分」に出会って、つきあっていく。対話する。そうするうちに、「○○な自分」が別な顔を見せ、殻を脱ぐように「本来の自分」として姿を現してくるような変化なのではないかと思います。

 私たちは、「○○な自分」の部分を好きになれなかったり、気付いていなかったりもします。それは、元々の個性や、家族や親から取り入れたモノ、必要な役割などで出来ている「自分」もいれば、「自分を守る自分」「周囲の期待に合わせて作った自分」など、いつの間にか形作ってきたり、現実をサバイバルする中で自然と生まれてきたりする「自分」達だからです。

 さきほどの夢をみるまでの私は、いつのまにか母親から取り入れたモノばかりを「自分」だと思っていたようでした。けれど、夢の中で「気取った自分」は、「遠慮のない自分」に率直に関わり、「バック」を手放すことを味わいました。
 母親から取り入れたモノが蓋をしていたけれど、それを手放すことで様々な「○○な自分」が顔を出して来たように感じています。そうした中から、いずれ「本来の自分」が現れる可能性を伝えてくれる夢だったように思います。
posted by MSCOスタッフ at 12:46| 心理エッセイ

2019年02月06日

「慣れ」について

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 <英語の want も「欠乏」という意味であり、漢字の「欲」も「谷のように引っ込んでいて欠けている」という意味であって、「欲望」とは何らかの規範に照らして自分に欠けているものを欲することである。そして、その規範とは一種の幻想であって、個人の内側に実体的裏付けのあるものではない。>(岸田秀『続 ものぐさ精神分析』中公文庫 p.88)

 宝くじで一千万円以上の大当たりをすると、当選金と同時に銀行から『【その日】から読む本』というパンフレットを渡されるそうです。そのパンフレットを調べてみると、「お金の使い道を考えよう」という項目に、「当せん金は、当面使うお金と残すお金に分ける」、「ローンや借金の返済を優先する」、「残ったお金でしたいことを考え、その重要度を判断する」、「決めた使い道を、後で見なおす機会をもうける」と書かれてあります。

 莫大な報酬を貰う運動選手が、引退後、むしろ借金を抱えてしまうこともあると聞きます。当然、必ずそうなる、ということではありません。しかし、宝くじ当選者に『【その日】から読む本』を渡すということから考えても、ある意味では「身の丈に合っていない金額」を「急激に」身につけると、その金を手にする前よりももっと貧困になる場合がある、ということなのかもしれません。

 しかし、急激に莫大なお金を手にしたとして、そこで何が起こっているのでしょうか。私には「慣れ」の問題があるように思えるのです。

 たとえば、毎朝缶コーヒーを買うことに慣れてしまったとします。たった120円ではありますが、積み重なれば、月に3,000円以上です。毎朝に加えて、帰宅途中にも缶コーヒーを買ったとしましょう。こうすると、合わせて月に6,000円以上になります。

 おそらく、このようなものは一週間で「慣れて」しまうのではないかと思います。慣れてしまうと、朝、缶コーヒーを飲まなければ、何か物足りなくなってしまうのではないでしょうか。最初は缶コーヒーを飲むことで何かが満たされたのかもしれませんが、それが常態化すると、缶コーヒーを飲まないことが「欠けたこと」に変化してしまいます。

 大金を手にして、ほんのちょっとの贅沢をし、これに慣れてもう少し贅沢をし、と続けていくと、その加算された贅沢は、ものの一週間で習慣化してしまう、ということなのかもしれません。あるいは、最初に一気に莫大な贅沢をしてしまえば、その水準より下げることは「欠けたこと」になってしまい、大きな贅沢を繰り返すよりほかなくなってしまうのかもしれません。最初は贅沢によって満たされたものも、いずれ、それらの贅沢ができないことが「欠けたこと」になってしまうのでしょう。

 おそらく人間は、「欠けたこと」には耐え難くなってしまうものなのだと思います。しかし、その「欠けたこと」であっても、さすがに一週間とはいいませんが、ある程度の日数で慣れてしまうものでもあります。毎日天ぷらそばを食べていた人が、毎日たぬきそばを食べることに変えても、最初は「欠けたこと」としてきついかもしれませんが、おそらく、一ヶ月ぐらいで慣れてしまうのではないかと思います。

 慣れは恐ろしいですが、慣れは救いでもあると、私は思っております。悩みがもし、「生き方の生活習慣」にあるとするならば、「人間は、欠けていることに慣れることもできる」ということを思い出しても良いかもしれない、と思うことがありました。
posted by MSCOスタッフ at 11:58| 心理エッセイ

2019年01月05日

職場での世代間ギャップにどう対応するか

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 いつの時代も世代間ギャップを感じることは少なくないのではないでしょうか。特に、色々な年代の人がいる職場は、世代間ギャップを感じやすいかもしれません。カウンセリングでも世代間ギャップによるコミュニケーションのとり方について話題になることがしばしばあります。どのように対応したら、スムーズなコミュニケーションがとれるのでしょうか。

 職場で特に問題となるのは、その世代間ギャップによる考え方、価値観の違いが、セクハラ、パワハラなどのハラスメントの内容にふれる場合です。

 例えば、40代後半〜50代前半のバブル世代と呼ばれるような人たちが上司だったとすると、残業もいとわず働いてきているため、定時に帰る後輩に対して、評価が悪くなる場合もあります。男女に対する価値観も、「男性はこうあるべき」、「女性は〜」という男女の性役割を重視する人も少なくないため、「やはりお茶は、女性がいれてくれた方がいいよね」と悪気なくセクハラともとれる発言をしてしまう人もいます。

 20代の人たちにとっては、上の世代の人たちとは、価値観を共有できないところもあるでしょう。コミュニケーションのやり方も、SNSを使った方法がスタンダードですし、あまり面と向かってやりとりをするという文化も慣れていない分、上司や年上の人を目の前にすると、非常に緊張していいたいことが言えなくなってしまうという話もよく耳にします。
 また、学生時代、親や先生に怒られることもなかったのに、上司が大声で他の人を叱責しているのを見て、「生まれて初めて見た光景…」とショックを受ける人もいるようです。

 それぞれの人格の特徴という側面も大事ですが、お互いが生きてきた時代が違う、という側面からも、理解を深め、対処を考えることができるのではないかと考えます。そのために、相手がどのような時代を生きてきたのかという背景を知るのは双方の助けになります。今は、ネットでも情報を集められるので、自分の職場の人たちがどのような時代を生きてきたか調べると、「ああ、だからこういう感じなのね」と納得できる部分も多いでしょう。

 たとえば、20代の人が直接上司に聞きにこないで、メールなどで聞いてくるからといって「礼儀がない!」と最初から怒らずに、「この人たちにとっては、それが当たり前の文化で育ったのだな」とまずは相手の事情を理解してみます。その上で、やはり直接聞きに来てもらった方が説明しやすいなと上司が思ったら、それを伝えてもいいのかもしれません。
 逆に、20代の人も、自分たち世代は直接的な方法をとらないできたが、上司は自分たちの感覚はわからないかもしれないので、直接相談した方が信頼関係を作れそうかなと考えてみるのもよいのではないでしょうか。

 また、上司が大きな声で怒鳴っていても、相手が育ってきた時代ではそれが普通だったのだろうな…と思うことで、怖さも少しおさまるかもしれません。しかし、度をこえた叱責は、もちろん理解してあげる必要はないので、それは、まわりの人にもどう感じるのか聞いてみるとよいでしょう。

 日本人同士ではない、外国の人たちと交流するときにも、相手の文化を学んで理解につなげるように、世代が異なっても相手の時代背景を知るというのは、よりよいコミュニケーションにつながるでしょう。自分が混乱して、嫌な思いをしないための防御策としても使ってみて下さい。
posted by MSCOスタッフ at 18:00| 心理エッセイ

2018年12月03日

内的世界と現実世界を結ぶ「中間領域」

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 学校高学年や中高生とカウンセリングをしていると、アニメや漫画、ゲームの話が出ることが少なくありません。大人やカウンセリングに抵抗や警戒の強い人たちが来談につながってもらうために、まずは本人にとって話しやすいアニメや漫画、ゲームの話から始めるということもあります。時には、自分で創作した漫画や物語について語ってもらうこともあります。
 
 ただ好きなもの、面白いものとして聞くだけでなく、その人の内面と共鳴するところがあるものとして話を聴いてくと、その人に対する理解が深まることが多いように思います。登場人物やストーリーが、その人の内面的な課題や葛藤を表していることがあるからだと思います。

 登場人物に深く思い入れがある場合、そのキャラクターがその人にとって「こうありたい」と思う理想の自分像であることや、憧れの対象を表していることもあります。まだ意識していない、自分の中に眠っている潜在的な要素を表していることもあるし、「傷ついている自己」のイメージであることもあります。そこには傷ついてきた自己の物語や自己形成の物語、癒しの物語が含まれているのです。
 
 こうした漫画や小説、ゲームが、実際に存在する作品であると同時に心の中を表すものでもあるということは、「外」であると同時に「内」のものでもあるということが言えます。


 小児科医で精神科医でもあったウィニコットは、「中間領域」という概念を使って内的世界と現実世界を結ぶ対象や遊びについて説明をしました。
 その中で、乳幼児が成長していく過程で、分離不安に耐えるために使用するぬいぐるみや毛布など、子どもにとって身近で愛着を持つものの存在を「移行対象」と呼びました。この移行対象は、現実に存在する、自分の不安を和らげてくれる対象(多くは母親)の代理として役割を果たします。

 これは、目の前に母親がいなくても、心の中に母親とのつながりを感じ(対象恒常性)、安心感が持てるようになるための橋渡しをしてくれます。つまり移行対象は、「現実世界」と「内的世界」を結ぶ、外と内の間に存在する「中間領域」としての機能を果たす、というのです。

 中間領域は、子どもの遊ぶことや芸術など文化的分野の中にも見ることができると考えられています。乳幼児期に限らず、「現実世界と「内的世界」の懸け橋である「中間領域」は、情緒の発達や安定に大きく寄与しているのです。


 また、「中間領域」は心理学の専売特許ではないようで、建築でも使われています。外と内の境界、たとえばマンションにおいてのパブリックからプライベートへと移行する空間のことを「中間領域」と言うのだそうです。ここを美しくデザインすることで、生活の豊かさ、精神的な安らぎが深まると考えられています。
 確かに、そうした空間は「必ずなくてはいけないもの」ではないのでしょう。しかしその「スペース」があることでゆとりが生まれたり、「外」から「内」、「内」から「外」への移行をスムーズにしてくれるのではないでしょうか。
 
 漫画や小説、ゲームも、そうした機能を持っているのかもしれません。心の傷つきが深いほど、その問題に向き合うことはとても怖く感じます。他者とかかわることに不安が強いほど、直接触れ合うことは恐ろしいのです。そのものを語るには生々しすぎる。感情が強く動きすぎる。そのようなときに、「内」と「外」、どちらの属性も持つ「物語」があることで、「スペース」が生まれ、安心して語れるようになるのかもしれません。
タグ:中間領域
posted by MSCOスタッフ at 18:24| 心理エッセイ